Leitz社の初期のレンズラインナップは比較的F値の暗いものが多かった。Elmarは50mm/F3.5や90mm/F4.0、大口径として用意されたSummarでやっと50mm/f2.0である。そんな中で唯一F2を切る大口径レンズとしてラインナップされていたのがこの『Hektor 7.3cm/f1.9』だった。”ヘクトール”というのがレンズ設計者であるマックス・ベレーク博士の愛犬の名前であったのはあまりにも有名な逸話だが、丁寧に工作されたその鏡筒の作りは愛着を感じずにはいられない見事なものである。
その描写は戦前の大口径レンズらしいフレアや収差の大きなものである。柔らかく湿度感の有る描写は好みの分かれるところだが、オールドレンズ好みの方であれば一度は使ってみたい描写だろう。
想像以上にコントラストはしっかりとしている。ノンコートのレンズを逆行下で使用している割にはフレアやゴーストも少なく、悪条件でも耐える印象だ。
風雨の激しい日だった事も有るだろうが、水の中に沈んだ様なウェットなその描写にはこのレンズの個性がしっかりと出ている。ボディのラインやヘッドライトの滲む光、こぼれる様な光源の描写は現代のレンズではまず望む事の出来ない描写だろう。73mmという焦点距離は実は近接もそこそこ効き、被写体をじっと見つめた様な距離感の心地よい使いやすい焦点距離である。その個性とともに実に魅力的なレンズだ。
雲の微妙な陰影や、少し重たさを感じさせる様な雰囲気をしっかりと写し取ってくれた。
F1.9ともなると、最短でのピントはとても薄い。大きなボケ味とともに、人物を撮るにも最適のポートレートレンズとなるだろう。コントラストや解像感が現代レンズの様にキツすぎないのもRAW現像を前提とすれば実に使いやすい。
戦前に生産されたレンズでこのように美しいコンディションを保つものはきわめて少ない。専用のフード、キャップまで揃いこれでフルセット。フードは逆さにしてレンズにかぶせる事で、小さくコンパクトに携行出来る。総真鍮製でガラスも重いので重量はかなりのものだが、その造りの良さは実に魅力的だ。
象眼による絞り値の刻印も美しい状態で残っている。ペイントもつややかで、当時いかに高額なレンズだったかが伺えるようだ。発売時には当然、全ライカレンズの中でも最高価格であったという。その後も長く生産が続けられ、クロームメッキになったものや直進式のヘリコイドを使ったアグファ・カラーシステム対応のレンズ等バリエーションは多い。ライカオールドの中でも抜群の人気を誇るレンズであるが、確かにそれも頷けるものである。
Photo by MAP CAMERA Staff