瞳に映る全ての光景を、我が物に出来たなら・・・と思ったことはないだろうか。そんな欲求を満たすことの出来るレンズが古の時代にも存在した。そのレンズの名は「Carl Zeiss Hologon 15mm F8」という。 「Hologon」という銘が、ギリシャ語のホロス「全て」とゴニア「角度」に由来する通り、その画角は110°に及ぶ。 一般的な写真用レンズには有って然るべき絞り羽根が存在せず、極めて曲率の高いメニスカスレンズの狭間には、その機能を肩代わりするヒョウタン型の奇怪なエレメントが鎮座している。 故に、絞りはF8固定式であるが、周辺減光を補正する為のセンターフィルターを装着すると、F16相当となる。 Zeiss Ikon社の広角専用機「Hologon Ultra Wide」に搭載されたことでも有名だが、今回ご紹介するのはライカ用交換レンズとして極少数が生産された、大変希少なMマウントモデルである。
通常、Kasyapa for LeicaのレポートにはM型デジタルカメラを用いているが、この「Hologon 15mm F8」は後部エレメントが突出している構造上、装着するとレンズかシャッターを痛める危険性が高い。よって本稿では全ての作例をネガフィルムで撮影している事をご了承いただきたい。
今に至るまで数々の広角レンズを扱った事はあれど、気を緩めると、カメラを持つ自らの指が写真に写り込んでしまうのは初めての経験である。
優れた解像力も相まって、撮影した写真それぞれに、今まで対峙したことが無いような“特異”な世界が構築されていく。
直線を直線として歪み無く捉える事が出来る為に、一見しただけでは15㎜という焦点距離を感じさせないところが、このレンズの凄味だろう。
ライカMマウント版「Hologon 15mm F8」の発売は1973年。前述のZeiss Ikon社製 広角専用機「Hologon Ultra Wide」の発売は、4年遡った1969年。ツァイスとライカと言えば、かつては光学機器メーカーとして鎬を削った仲。どういった経緯でライカ用交換レンズとしてリリースする事になったのか大変興味深いが、Zeiss Ikon社が1974年にコンタレックスシリーズの不振によりカメラ製造を取り止めた事は、大いに関係しているのであろう。
半逆光では流石にフレアがかかるが、厭な出方ではなく、むしろ幻想的な印象を受ける。
ライカMマウントモデルは、「Hologon Ultra Wide」に装着されている「Hologon」がピント固定式だったのに対し、ヘリコイドを内蔵して0.2m~無限遠のピント調整を可能とした。殆ど被写界深度に納まってしまう世界ではあるが、ある程度の繰り出し量を見ると、ピントの芯には影響しそうだ。
優れた階調表現はモノクロームフィルムでの撮影とも相性が良い。自分がその場で見た光景をそのまま持ち帰ってきたような錯覚に陥る。
そこにあった光。そして、影。ネガのコンタクトを作った段階で感嘆の声を漏らしたのは、久々の出来事であった。
生産本数はおよそ500本余り。撮影に耐えうるコンディションで現存している本数を考えると、貴重品と言っても過言ではない。数ある歴代ライカマウントレンズの中でも非常に高値で取引されている1本。魅了される者が後を絶たないのにも頷ける理由が、そこには確かに存在した。
Photo by MAP CAMERA Staff