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【極私的カメラうんちく】第44回:オリンピック報道とカメラ

オリンピックとカメラには密接な関連がある。

オリンピックといえば世界最大のスポーツイベントであり、その記録や報道を目的として使用される映像機材は数も種類も世界最大級である。オリンピック会場には最新かつ最も信頼性の高い機材が厳選され集結し、またそれらの機材を扱う人々もまた選ばれた人間であり、彼らにとってのオリンピック取材は、それ自体が一つの到達点と呼べるほどのステータスである。
いわば報道関係者なら誰もが色めき立つオリンピックイヤーには、報道需要を見込んだカメラや交換レンズの新製品が発売されることが多い。オリンピックの取材に使用されることは、報道関係者に絶大な宣伝効果を持っているためである。
その宣伝効果は40年も前から実際に利用されてきた。
キヤノンF-1は1971年に発売されたが、その開発の背景にあったのは報道系プロカメラマンの殆どがニコンを使用していた当時の事情であった。当時の報道系プロカメラマンの間ではニコンFこそが絶大な信頼をもって受け入れられていたのである。F-1はニコンFが独占する報道系プロカメラマンのシェアを奪還すべく開発されたと言ってもよいが、F-1がいかに優れた性能であってもいったん出来上がっていたニコンFへの信頼性は厚く、その牙城を切り崩すのは並大抵のことではなかった。
そこでキヤノンがとった戦略がオリンピックを利用することだった。プロ用機F-1の堅牢製と機動性をさらに売り込むべく、当時としては驚異的だった秒間9コマの撮影が可能なF-1高速モータードライブを1972年のミュンヘンオリンピック開催に合わせて開発し、ノーマルタイプのカメラボディやその交換レンズ共々、世界中の報道系プロカメラマンにそのアドバンテージを売り込むことによって、一気に形勢を挽回しようと考えたのである。
さらにその後もオリンピックとキヤノンの関係は続き、モントリオールオリンピック(1976)とレイクプラシッドオリンピック(1980)では、F-1がオリンピック公式カメラに認定され、F-1の外装に大会のシンボルマークが刻印された公式カメラ認定の記念モデルが一般に発売された。さらに後継機のNewF-1になってからもロサンゼルスオリンピック(1984)の記念モデルが発売されている。かくして今では、ニコンとの二枚看板としてあらゆるスポーツイベントの取材風景にキヤノンの一眼レフの姿は欠かせないものとなっている。

一方、ニコンもオリンピックにかける情熱はキヤノンに負けてはいない。
大口径超望遠レンズの象徴である現在の300mmF2.8(サンニッパ)の元祖とも言えるレンズが、札幌オリンピックのスキー競技を撮影するために開発されたのは有名な話である。このレンズの開発によって低分散ガラスの研究と実用化が一気に進んだのである。また時代は遡るが、ニッコールオート時代の400mm~1200mmの超望遠レンズの殆どは東京オリンピックのために開発されたものだという。現代に通じる一眼レフの大口径超望遠レンズラインナップはまさしくこのオリンピックイヤーに産声を上げたのだ。
また、1996年10月に発売されたニコンF5は発売直前の最終試作機が8月のアトランタオリンピックにデモ機として提供されて好評を得たという。見方を変えればF5の発売がアトランタオリンピックに間に合わなかったとも受け取れるが、いずれにせよF5がアトランタオリンピックを照準に開発されたことは間違いない。言ってみれば最終試作機をかき集めても報道系プロカメラマンに使って欲しいほど、オリンピックは新製品の激烈な宣伝場所であると同時に、初めて実戦でその性能が評価される重要な実験場なのである。

しかし、オリンピックは新製品の開発を加速するばかりではない。

1960年代を境にして、報道系プロカメラマンの使用機材の趨勢がレンジファインダー機から一眼レフに移行してきたことはご存知の通りである。ニコンのレンジファインダー機の生産も、1960年頃をピークとして、その後は次第に一眼レフにシフトしてゆくことになる。
レンジファインダー機ニコンS3は1958年に発売されるが、翌年発売される最新鋭一眼レフ「ニコンF」の台頭によって急速にその需要を失い1960年10月にいったん生産を終了する。しかし1964年の東京オリンピックの翌年1965年に限定再生産を行っている。これが有名なS3オリンピック(再生産型)だが、なぜオリンピックの翌年に生産された再生産型S3が「オリンピック」と呼ばれるのかというと、実は東京オリンピックの前年に報道機関向けにレンジファインダー機ニコンSPの再生産が行われており、その時SPに装着されていた新設計のレンズ(50mmF1.4)が後にオリンピックレンズと呼ばれた。そして1965年の再生産型S3にもそれと同じレンズが装着されていたため、「S3オリンピックレンズ付き」と呼ばれるようになったというのが定説である。
ここで重要なのは、オリンピックの前年に既に生産を終了していたニコンSPの再生産があった事である。これは筆者の想像だが、1963年当時既にレンジファンダー機が斜陽となっていたことは確かだが、おそらくは報道系プロカメラマンにも根強いユーザーがいて、オリンピックによってその需要が再び急激に喚起されたのではないだろうか。そしてその熱意がニコンを数年ぶりの再生産へと動かしたのではないかと想像できる。40年以上前の話ではあるが、オリンピックが旧製品の需要を喚起した一例である。新製品の檜舞台としてのオリンピックのもう一つの顔がここにはあった。
そして再生産型のニコンS3は、シドニーオリンピックの開催年の西暦2000年にS3リミテッドとしてもう一度生産されることになる。かつてオリンピックの名を冠したS3にとって、これは単なる偶然ではなかったのかも知れない。

今年の北京オリンピックでは、ニコンD3やD300またD700といった最新型機が大いに活躍したことだろう。またキヤノンからも北京オリンピック開催直前に200mmF2や800mmF5.6といったプロ向けの大口径超望遠レンズが発売され、オリンピック報道に参加している。
オリンピックの会場では、競技者と同様、報道用機材の世界でも熾烈な戦いが今も昔も繰り返されているのである。

[ Category:etc. | 掲載日時:08年08月20日 00時00分 ]

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