「自分がとことん惚れ込んだ道具を、大切に長く使う。」
そんな行為に、昔から強い憧れを抱いています。
たとえば
使い込まれ、よく手入れされた革製品。
書けば書くほど、使用者の書き癖が反映されて、ペン先が育っていく万年筆。
それを使ってきた大切な時間と、その思い出がいっぱい詰まっている道具。
カメラも同じように、感じると思います。
新しいボディを手に入れるときには、もちろん性能も気になりますが、
直感で、欲しいと思うこともあります。
長い間、欲しいと思っているカメラがあります。
「FUJIFILM X-Pro1」
このカメラとの出会いは、ある日見かけたカタログでした。
「X-Pro2」のカタログにあった傷だらけのボディの写真。
見たときに圧倒的な【存在感】を感じました。
「このカメラはどんな時間を経てきたのだろう。どこで、どんな被写体にレンズを向けてきたのだろう」
カメラの所有者の人生観、哲学まで感じる様な写真でした。
「初代のX-Pro1なら自分にも手が届くだろうか。」
「自分にもここまで使い込むことが出来るだろうか。」
そう思い始めたきっかけでした。
きっと、ボディについた傷のひとつひとつを見返すたびに。
撮った写真のことだけではなく、いつ、だれと、どんなところでといった記憶まで甦るのだろうと思いました。
【記憶】が封じ込められたボディ。まさしく相棒と呼べると思います。
ダイアルは回せば回すほど、フチが傷ついてより塗装が剥げていきます。
印字された数字が剥げて見づらくなるまで使ってみたいですね。
たとえ見づらくなったとしても、カメラを操作してきた体が感覚を覚えてしまっていることでしょう。
なんども購入を考え、悩み。
かなりの時間がたってしまいました。
生産が完了し、中古の相場がお手頃になった今なら決心することができるでしょうか・・・。
この文章をつづりながら、ふと自分に問いかける。
「お前はいままで、一つの道具を愛しぬいたことはあるのか。」
・・・。
ファインダーを覗きながら思う。
今度こそ、
今度こそ、
生産が終われども。
ボロボロになるまで、壊れても治し、修理が出来なくなる日まで。
「X-Pro1」を使い続けたい。
【好機到来】