【本館地下一階】 HASSELBLAD OPTON Di C40mm “Oberkochen”
本館B1階からこんにちは。
今日はちょっと珍しいハッセルブラッド用交換レンズのご紹介です。
オーバーコッヘン。
銘板に記されたその地名には、深い理由があります。
皆さんご存知のカールツァイス。ドイツの老舗光学メーカーです。
第二次世界大戦の敗戦を迎えたドイツは、東と西に分割統治されます。
終戦を迎えて間もなく、東方ドイツのイエナに本拠地を置いていたツァイス社から、
旧ソ連の接収を受ける前に、先んじてアメリカが技術者と設備の一部を西側ドイツへと移しました。
それが現在もツァイス社が本拠地を置くオーバーコッヘンだったのです。
旧ソ連とアメリカの両国間で、ドイツが誇るカールツァイス社の技術力をめぐる争奪戦が勃発したわけです。
アメリカ統治下の西側ドイツでは「ツァイス・オプトン社」として、
旧ソ連統治下の東側ドイツ、イエナでは「人民公社カール・ツァイス・イェーナ社」として運営されました。
こうしてツァイス社は東西に別れ、それぞれ独自のカメラおよびレンズ製造に携わっていくことになります。
当時ハッセルブラッドにレンズ供給をしていたのは西側のカールツァイス社。
このレンズの表記にみられるように、西側ドイツのオーバーコッヘンで作られていました。
しかし、よく見かける「Carl Zeiss」銘の表記で無いのは何故でしょう?
銘板のモデル名も、通常表記されるべきDistagon C40mm F4から“Di”に短縮され、
「OPTON」の表記も追加されています。
実はこの個体、東西分裂時代に、西側ドイツから東側ドイツへ輸出された個体なのです。
上述のとおり、当時ハッセルブラッド用のレンズを供給していたのは西側のツァイス社だけでしたが、
「Carl Zeiss」の銘だけだと東西どちらのツァイス社で製造されたレンズなのか
判別がつきにくいという事もあったのでしょう。
その為の配慮・・・むしろ、東西ツァイス社間の確執の象徴としての意味合いの方が強いかもしれません。
なにせ、東西どちらのツァイス社が「ツァイス」の名を名乗るか・・・
さらには、各種商標権などの裁判で揉めに揉めていたようですから。
そんな歴史に裏打ちされた表記が楽しめる、普通の個体と一味違ったC 40mm F4.
外見と光学系は、上記の付加価値を抜きにして語っても、かなりの美品。
フロントキャップやケース(少々経年劣化あり)も付属します。
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ちなみに・・・
東西ドイツに分かれていたツァイス社は、その後のドイツ東西統一により、西側オーバーコッヘンに統合。
現在も世界屈指の光学機器メーカーとして君臨しています。
お問い合わせは、本館地下1階まで。
心よりお待ちいたしております。
03-3342-3381 (本館代表)