【Leica】ライカビギナー奮闘記 その5 写真が撮れない時は
新型コロナウィルスによる緊急事態宣言から始った2021年も、もう1ヶ月が過ぎました。
昨年購入したライカに早く慣れようと、出掛ける際はなるべく持ち出すよう心掛けていましたが、外出自体が減ってしまったこともあり、今年はまだ1度もシャッターを切っていません。
なんとも勿体無い話ですが、少しでもライカの写真に触れておこうと、まだ少ないストックショットを見直すことにしました。
写真は昨年11月、伊勢参りに出掛けた際に乗換駅である名古屋駅で途中下車し名古屋港へ立ち寄った時のものです。

明治40年に開港したと言われる名古屋港は現在「ガーデンふ頭」という名前がついており、展望台や水族館などが整備された観光スポットになっています。そんな数多い見所の中で私が目指したのが、保存展示されている南極観測船「ふじ」です。
大きく5001と艦首に記された2代目南極観測船。正式には砕氷艦というそうで昭和40年から18年間活躍しました。
そもそも私が南極観測船に興味を持ったのが、2年前に千葉の船橋港に係留されていた3代目の南極観測船「しらせ」を見学してからのこと。
昔お台場にあった船の科学館で、初代の「宗谷」を見たことがあり、その間にある2代目の存在がずっと気になっていたのです。
ちなみにこちらが約2年前に「しらせ」を見学した時の写真。艦首に5002と記されており、5001ふじの後継であることが一目でわかります。
艦首の番号は、海上自衛隊所属の艦艇全てに書かれており船の種類によって振り分けられており、初代の宗谷のPL107と表記方法が違うのは南極観測が途中、海上保安庁から海上自衛隊に切り替わったためとのことです。
当時の見学記に身軽でコンパクトな機材が良いと思いつつも、肉眼でもしっかり見ておきたいから「Nikon D5」を持ち出したと書いていました。そして今回は「Leica M10-P」。前回の希望の両方が叶ったわけです。
資料館として一般公開されているふじの船内は明るく綺麗に整備されています。前回見学したしらせの方が、錆などの劣化が進んでおりどちらが先代か勘違いしてしまうほどです。
人形で当時の隊員の様子も再現されています。
透明なアクリル板越しに覗いた船室の片隅に懐かしいフィルムのパッケージを見つけました。昭和後期がそのまま保存されたタイムカプセルかのようです。
甲板には物資輸送用ヘリコプターも保存されていました。ペンギンのマークが南極で活躍した証となっています。
見学を終え、陸に戻るとふじが実際に使用していたプロペラや主軸や、南極に1年取り残されても生き延びたことで有名な「タロ」と「ジロ」の銅像が目に入ってきました。
タロ・ジロが乗っていた船は先代の宗谷なので何故と思い調べてみると、全国各地に銅像があるそうです。そういえば東京タワーの麓にも銅像があったのを思い出しました。
最後に展望台から名古屋港を見渡してみました。水族館の奥には観覧車も見えます。これはとても1日では回りきれないボリューム。またいつか訪れる時を楽しみにしたいと思います。
今回は前回までのブログと異なり撮影から掲載まで若干期間が空きました。
そして感じたのが、確かにこんな雰囲気だったと思い出される記憶。これまで控えめで忠実な色再現のニコンを愛用していましが、ライカでもこれに似た感覚を覚えました。むしろ好きな色再現です。
もっとたくさん撮影をし、ライカと共にいろんな思い出を残したいと思います。