これはM(Typ240)を購入し、のんびりと歩いていくお話です。
Leica M(typ240)に今回はLeica Summilux M50mm F1.4 後期をつけふらりと名古屋へ。
これは筆者の偏見ですが、西へ行くほどおおらかな街や人が増えていくように感じます。
名古屋の空気感が好きで、学生の頃は月に2,3度遊びに来ていました。
さっと撮った1枚ですが、繊細な線の細さと独特な立体感です。これぞ後期という1枚になりました。
同じく立体感に優れた1枚。
ズミルックスの1stと2nd(1st後期)では若干レンズ構成が異なり、ピント部やハイライトの滲みが後期の方が抑えられています。
貴婦人らしさを残しつつ、より使い勝手の良い本レンズが大のお気に入りです。
輪郭を伴ったボケはTheオールドレンズです。
回りかけるボケと滲むハイライトは後期らしさ満点です。
“ライカっぽい”写真を撮ろうとあたりをウロウロ。
筆者は風景写真に人が写りこむ事を病的に忌避しているのですが、”敢えて”人を入れてみます。
撮影範囲外も見えるレンジファインダーの利点を生かします。
紫陽花の季節は佳境を迎えていますが、蓮の季節がすぐそこに迫っています。
蓮を見るたびに遍照の「蓮葉の 濁りて染まぬ 心もて なにかは露を 玉と欺く」という句が思い出されます。
蓮葉は泥の中から生えるのに水や泥をはじき清廉な物とされています。
そんな蓮がなぜ水滴を玉(宝石)のように見せ、人々の心を欺くのかという句です。
蓮に欺かれたような気がしてしまいますが、勝手に宝石だと思い込むのはいつだって人間の側なのだと思いながら蓮を眺めています。
少し緑色に転んだホワイトバランスがM(Typ240)らしいです。
一口に緑と言っても鮮やかな緑もあれば落ち着いた緑もあります。
私のM(Typ240)の液晶は黄色みがかって表示されるため、家に帰ってPCで確認するまでどんな色で撮れているのかを正確には確認できません。
Leica FOTOSが利用できないTyp240シリーズですが、帰路は液晶画面を覗きながら旅の総括をしています。
PCで開くまでの間が現像待ちのようで少し楽しくもあります。
球面収差を抑えるためF2.8まで絞りました。
浅めの色合いが出てくるのは珍しく、赤茶を全面に押し出した画を予想していたので笑ってしまいました。
カメラ様の判断なさる色合いを愉しませていただく、そういう気持ちを忘れずにいたいものです。
最後はこれまた浅めの色合いで美しいグラデーションを描いてくれた1枚です。
中間階調が繊細で、淡いブルーに少し赤みがかったフレアが差し色のように入っています。
ダイナミックレンジが驚くほど狭く、毎回空が白飛びすることに他社から乗り換えた時は困惑しましたが、最近ようやく慣れてきました。
自分が寛容になっているのか、カメラ様に調教されているのかは考えないことにしましょう。