「私が見ている青空の青と他の人が見ている青は同じ色だとどうして言えるのか?」
中学生の頃、現代文の教科書で出会った一文はそれから10年以上たってもふとした時に頭によぎります。
自分の見ている世界と他者の見ている世界は必ずしも同じではない。
自分が「青」だと思っている色は他の人にとっては「水色」かもしれず、あるいは「赤」かもしれない。
そう考えるだけで、世界がいっそう広がったように感じ、なんだかワクワクしてきます。
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LeicaのM10にズマロンM35㎜F2.8をつけて何気なく空を撮った時
「Leicaには青がこう見えているのか」と思いました。
普段何気なく見上げている青空はもっとあっさりしていて気に留まらないような色だったように記憶していました。
それがこんなにも濃く、こってりとした色に写してくれます。
太陽に向かって一本長く伸びた草にレンズを向けます。
丸いゴーストが何重にも出ました。
目には見えない光が見えるようで、あえてゴーストが出るように逆光で写真を撮るのが好きです。
先程の青とはうって変わって、淡い青空が広がっています。
これもLeicaの見ている青の1つです。
まだ紅葉シーズンとは言えませんが、太陽が良く当たる木のてっぺんは赤くなっていました。
見頃をむかえたらどんな景色になるのだろうかと想像しながらシャッターを押します。
少しだけの紅葉でもはっきりとした赤が美しい一枚になりました。
この写真の青空も、先の2枚のちょうど中間のような鮮やかな青です。
ライカに見えている青もまた画一的に考えてはいけないようです。
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公園の片隅に、苔に覆われ誰も歩いたことのないような場所がありました。
シャッターを切りながら
「抹茶みたいな色しているし、大きいスプーンですくったら抹茶ティラミスみたいで美味しそうだなあ」
と思っていたからでしょうか。
何となく見ていた時よりも抹茶色に近い写りになりました。
子どもたちで賑わっていた公園ですが、片隅のジャングルジムには誰もいませんでした。
振り返れば子どもたちの笑い声が響いてきますが、この周辺だけしん、とした時間が流れていました。
Leicaを使うたびに、視覚だけでなく音や雰囲気まで閉じ込めてしまえるカメラだと思います。
ジャングルジムの赤もきっと子どもたちでにぎわっているときにはもっと明るい色になっているのかもしれません。
けれども今は曼珠沙華のようなダークさも併せ持つ雰囲気のある赤を見せてくれました。
なぜ公園には動物がよく居るのでしょうか。
ここにもゾウやキリンなどたくさんの動物がいました。
キリンの黄色。砂のグレー。
色の名前は一言で言えてしまいますが、日の当たっているところとそうでないところ。
色が褪せているところ、足跡が付いているところ。場所によって一言では片づけられない色が広がっています。
ゾウは瞳の奥で何を考えているのでしょうか。
思わず覗き込んでしまいたくなる瞳です。
ゾウの向こうに見えていたお城のような遊具を撮りました。
白と青のコントラストがはっきりとしている、お城の存在感が強調された一枚に。
目の前にお城がそびえ立っている様な立体的な写真になりました。
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私の思う青はもしかしたらだれかの思う青ではないかもしれません。
そして、色はその場所の雰囲気や気持ちによっても姿を変えていくように思います。
その中で、Leicaは私にこんな世界の見方もある、と教えてくれるようです。
私は自分の想像を超えた色の写真が撮れる時、やっぱりワクワクしてしまいます。