【Nikon】VOYAGE:ニコンの101年 Vol.1
1917年、日本光学工業株式会社が誕生しました。
当時は軍需光学機器の製造を主とし、
戦後、カメラ事業へと方針転換。
現在までに、様々な名機・名玉が生まれました。
そして社名も、誰もが知るNikonとなりました。
100と1年という、歴史において長きに渡り光学機器を
作り続けたNikonは、新たな領域へ、足を踏み出します。
VOYAGE【ヴォヤージュ】とは、長期的な旅行記を示す言葉です。
これまでの、そしてこれからのNikonを形容するうえで、
ふさわしい言葉です。
これまで辿ってきた時間と、新たに始まる未来。
それらを比較しつつ、新しいカメラにフォーカスしていきたいと思います。
さて、今回はそのコンテンツとしての第一弾をお送りいたします。
・ニコン製カメラの胎動
戦時中、軍需品の供給を続けた当時の日本光学が、
主たる製品を民需品生産へと転換したのは、
1945年、GHQ占領化のことでした。
日本工学は、それ以前より戦時中、
軍需光学機器で培っていた光学技術をもとに、
「Nikkor」という銘を受けるレンズを試作しています。
また、戦後135フィルムを採用したフィルムカメラを
製造する方針に決定はしたものの、
カメラ開発の道は厳しいものでした。
数多の試行錯誤を繰り返して、この世に量産型第一号のカメラが
産声を上げます。
それが、「ニコンI型」です。
いま使われるニコンという社名は、受け継がれてきた
フラッグシップカメラの名を冠するものだったということです。
さて、当時、このカメラが採用するフォーマットは独自規格的要素の
強い24×32mm判、いわゆる「ニホン判」だったといいます。
しかし少数の量産後も、複数のトラブルを抱えた本機は、
数百台の生産にとどまりました。
その後も、M型、S型と改良を続けていき、製品としてのクオリティを
上げていく中で、販売される層も、当時の従軍者から、
民間の方々へと移って行ったそうです。
・渾身のレンジファインダーカメラ
順調に開発を続けた日本光学が、1954年に発売したのが
「Nikon S2」です。
著名報道写真誌である「LIFE」にも掲載された写真家 三木淳氏の
意見だった巻き戻しクランクが本機より正式に採用され、
また、当時同年に発表されたLeica M3を強く意識した出来でした。
しかし、非常に精巧で完成度の高い本機S2も、M3の完成度で
レンジファインダーカメラとして大きな差がついてしまいます。
この出来事は今日たるニコンとしての在り方を決定づける、
大きなターニングポイントとなりました。
・不変のマウントの始まり
1956年より三年の歳月の開発を経て、日本光学が送り出した名機。
それこそが言わずと知れた「Nikon F」です。
Sシリーズで培われ支持された仕様を踏襲しつつも、
一眼レフカメラとして洗練された形で登場しました。
また、採用されたFマウントは、様々なメーカーが機能追加に伴い
変更せざるを得なかったマウントを、約60年守りつづけています。
・S to F to Z
Sマウントから始まったニコンが、Fマウントを経て、
ついに、さらなる新たなマウントを採用します。
100年の歴史を経たニコンが満を持して発表した、新マウント「Z」。
フランジ内径55mm、フランジバック16mmの大型マウントです。
この新生マウントは、ニコンが育んできた光学技術のすべてが、
惜しみなく搭載されます。
新しい歴史を歩みだすニコンの新機種を、是非その手に。
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