【Nikon】海を振り返る
多分いつだって海に行きたいと思っている。
別にサーフィンをするわけではない。
海に潜るわけでも、水に濡れたいわけでもない。
それでも少し間が空くと海に行きたいと思っている。
でも考えてみたら、子供の頃プールでは泳ぐよりも
浮かんだり、背泳の姿勢のままプールの底まで沈んでキラキラ輝く水面を見ていたから元々、水は好きなのかもしれない。
(溺れたと思って慌てた親に怒られたことも思い出す)
まぁ、そんなことは雑念でしかなくて、ただ無性に海が見たくなる。
この日は本当に久しぶりに海が見える街に行った。
海岸沿いを走る電車に揺られ、チラチラと見えてくる景色。
パァっと開けた視界に飛び込んできた海を見た時は
何度も見たことがある景色のくせに少し感動してしまった。
家を出る頃にはあまり良くなかった空模様が晴れてきたのも一因だったけれど。
ちなみにこれはまだ緑が綺麗で紫陽花が咲いていた頃。
暑すぎることも寒いこともない、真夏のギラつく太陽が照りつける前のお話。
ひとしきり青空と海を撮った後、コンビニで買ったパンを食べていたら
急に強い衝撃を受けた。一瞬何が起きたか分からず混乱していたがトンビがパンを狙って急降下してきたようだった。
幸いどこも怪我などしかなかったが、立て看板でトンビ注意!と書かれているのを思い出して
これがそれか!と心臓をバクバクさせながら食べ物をしまった。
本当に危険なので気をつけなくてはいけないと教訓を得た。
海岸沿いを歩いていると自転車に乗った少年たちが追い越していった。
しばらく先のところで自転車を止めてここにいた。
海の見える街に住んで、学校が終わったら自転車に乗って海を見ている。
彼らにとっては当たり前のようなその時間が羨ましい。
夕暮れ時から海を眺めるのが好きで、時間が許す限り陽が沈むまでのんびりしている。
ひたすら海を眺めるという行為に何か意味を持たせてしまったら、多分眺めていられない。
意味がないから眺めていられるんだろうと思う。
一緒に遊べること、過ごせることが当たり前だった時間。
陽が沈んだ海に物悲しさを感じはするけれど
こうやって自分の中の何かを充電して家路に着く。
行きたい時に行きたいところに行ける。
当たり前のように思っていたことは今とても困難になっている。
去年の暮れ。家族で家で三脚を立てて、セルフタイマーをセットして、年賀状用の写真を撮った。
いまカメラにできること。いまを残すこと、そして思い返すこと。
いままでだって変わらないけれど、その意味を噛みしめる。
これから先も多分いつだって海に行きたいと思っている。
だから今はその海を振り返る。
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