本日もまた写真日和。六日目。
燃える炎の様な赤、紅葉、秋。
9月の中旬、前回のブログでまさに“燃えるような秋”と口走りました。
11月の下旬、隣で画角を追い込みながら、その人は呟きました。
「なんか、炎って真っ赤じゃないし…なんというか、そうじゃないよね」
そっかぁ…
あれほど、やれ春だ夏だ、やれ7月だ、9月だ、と騒いでいたにもかかわらず、秋をすっ飛ばしてしまった私でございます。
金木犀に酔いすぎたのでしょうか、2ヶ月ぶりです、新人スタッフのカメラ話に暫しお付き合いください。
さて改めまして、少し前に晩秋の京都へ帰っておりました。
秋真っ盛り、紅葉は眩しいほどに鮮やか、風はほんのり冷たく、冬の訪れを…というつもりでしたが。
11月も既に暮れ。
古都は思いの外寒く、紅い葉はどちらかというと足元の方から微笑みかけてきます。
石畳のモミジはさながら満天の星空だ、ははは、と、うつろう季節の早さにやや苦笑いを。
旅の共は多すぎても少なすぎてもいけません。おそらく。
ひどく悩みましたが、下記の三台を頑張って選びました。
・Canon オートボーイテレ6
・小西六 Pearl
・SONY α7RⅢ+SIGMA DC Art 30mmF1.4
コートの両ポケットには、かじかむ手とフィルムカメラを。
寒風に縮こまる首からは、ミラーレスを。
片手で、両手で、気軽に、じっくり、笑い合って、感動して。
刹那を、2秒を、輝きを、宵闇を、笑顔を、名残惜しさを、ハーフで、フルサイズで、645で。
忘れまいと、何十回、何百回、シャッターを切りました。
紅葉も場所によっては、種類によっては、まだ鮮やかでした。
何年も見続けたこの紅葉も、もう4年ぶりでしょうか。
見飽きた、なんて擦れた事を呟いてみても、古都の空気は易々と心を揺さぶります。
それにほら、知らなかったカフェも見つけました。
ハーブティーをいただいていると、外の喧騒にもほわほわと靄がかかり、暖かい店内では眠たくなってきます。
春眠暁を覚えず、とは、春の朝はお布団が恋しい、という事だったでしょうか。
何年も前の古文の授業をぼんやりと思い出していました。
晩秋、夕方のカフェも瞼が重いです。
京都に住んでいた頃は、朝から晩までせかせかと撮り歩いたものです。
まだまだ若輩者の私ですが、あの頃よりは少しだけ年齢を重ねて、のんびりと過ごす事を覚えました。大人になったという感じです。
もう若くないんやろか、と言うと、沢山の先輩方に怒られてしまいます。
まだまだ、元気に頑張らなくては。
一泊二日の旅程でしたが、あっという間に過ぎ去ってゆきます。
ファインダーを覗いてばかりでは旅を楽しめない、というのは、どうやら私には当てはまらなかったようです。
撮って楽しい、見て楽しい。
数日おいて、現像してみてまた楽しい。
フィルムだけ、デジタルだけ、そんな旅にはもう戻れそうもありません。
取り敢えずシャッターだけ切ってしまえば、撮れ具合を気にせず楽しめるのもフィルムの利点です。
フィルムの巻き上げは忘れずに…と言いたいところですが、意図せぬ多重露光もまた一興。
とっぷりと、暮れました。
鞍馬の方まで行っておりまして、空気が冷たいです。
懐かしいなと思わせる寒さですね、冷やこい。
空気もなんだか澄んでいるような気がして、月からもこちらが見えているような気がして。
実は、鴨川デルタで入れたVelviaは、まだ撮り終わっていません。
20枚ほどの京都の風景と、撮りつつある東京の風景を、一緒に現像に出します。
陽に透かせば、丁度半々くらいの割合で東西の世界が広がるというわけです。えもいえぬ高揚感を感じませんか?
何を撮ったかあんまり覚えてないくらいがまたよいのです。なかなか共感は得られないかもしれませんが。
その様子も掲載するかもしれません。
是非、お楽しみにお待ちいただければと思います。
なんだか今年の冬はとくだん寒く感じます。
ご覧いただいた皆々様も、どうかお体には気をつけて、ご自愛くださいませ。
それではまた。
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