【極私的カメラうんちく】第6回:リバーサルフィルムのススメ
フィルムカメラの後退が誰の眼にも明らかなここ数年、不思議に元気なのがリバーサル(カラースライド)フィルムの分野である。昨年限定生産と銘打って発売されたフジフィルムのフォルティアは、決して万人向けとは言えないISO感度50の設定ながら、持ち前の濃厚な発色がよほど評判が良かったらしく、今年になって正式のラインナップに加えられている。世界最高の粒状度をもつプロビア100Fと、演色性に優れたベルビア50をもともとラインナップに持つ同社は、2003年には利用目的の非常に近いベルビア100と100Fの2種に加えて落ち着いた発色のアスティア100Fの合計3種を発売しており、高性能リバーサルフィルムはまさに空前の充実度を見せている。そして21世紀のフィルム性能はいまや極限に近づいていると言ってよい。
リバーサルフィルムのユーザーは、印刷分野で仕事をされている人たちを除けばその扱いにくさと引き換えに得られる極めて分解能の高い発色と解像度に魅せられた人たちと言える。その一方でよく言われるようにリバーサルフィルムの撮影は僅かな露出差が写真イメージに大きく影響する。さらに光源に大きく左右される発色特性を持ち、撮影後の調整救済が一切出来ない。ネガフィルムやデジタルカメラとは異なりリバーサルフィルムの撮影はまさに一発勝負である。またISO感度は100以下が基本でありISO400程度が一般的なネガフィルムやデジタルカメラの感度と比べるとそれだけでも撮影条件が不利である。リバーサルフィルムを使用するということは扱いにくいフィルムを取り扱える撮影技術や知識、また不利な条件に合わせて使用出来るシステムを同時に持ち合わせていることを意味し、もともと安いとは言えないランニングコストと相まってもはやステータスと呼ぶに相応しい。
しかしそんなやっかいなフィルムが何故か売れているのである。新製品のフィルムカメラは出なくても魅力的な高性能リバーサルフィルムは着々ラインナップされている。決して媚びることの無いやっかい者を手懐ける喜びを見出した人々にとって、どうやら手軽で失敗が少ないことばかりが需要の全てでは無いようである。
ところで通常のフィルム一眼レフであれば、よほどの普及機を除いてリバーサルフィルムの使用を前提に設計されている。最も寛容度の低い感剤のために各種の仕様や設定をあわせておけば、寛容度の高い感剤には当然余裕を持って対応できるからである。そして現在デジタル一眼レフで当たり前に搭載されている多分割測光や露出補正・調光補正機能・段階露出、また多彩なスピードライト制御といった複雑で精緻な露出制御関連の機能は、極論すれば全てリバーサルフィルムの使用を前提に開発されてきたものである。また複雑な光学系を有する光学ファインダーや整理工夫されたファインダー内情報も、現像が完了するまで判らない撮影結果を撮影直前に少しでも正確にイメージするために改良されてきたものだ。しかしそのどちらもが、撮影の数秒後には撮影結果を見ることが出来る現在のデジタル一眼レフにおいては優先順位が大きく後退していることは間違いない。
そしてカメラ本体のみならずF2.8クラスの大口径ズームや大口径単焦点レンズラインナップにもISO感度の低いリバーサルフィルムユーザーのニーズが多分に含まれている。デフォルトのISO感度が高く、しかも随時変更が可能なデジタル一眼レフユーザーのメリットがフィルムカメラユーザーのそれと同じはずは無く、もし一眼レフがリバーサルフィルムと無縁の世界で進化していたとしたら大口径ズームや大口径望遠レンズが現在ほど一般に普及することは無かったはずである。現在フォーサーズを除くデジタルカメラ専用交換レンズに中・小口径レンズが多いことは決して偶然ではない。
リバーサルフィルムは撮影者だけではなくフィルムカメラ製造者にとってもやはり「やっかい者」である。しかしそのやっかい者のために培った技術や製品ラインナップは、デジタル一眼レフがフィルム一眼レフの基本的なカタチを踏襲することによって、現在も大きな礎となっている。そしてリバーサルフィルムユーザーのために作られた仕様や性能は、リバーサルフィルムを知ること無くデジタルカメラを使用するユーザーにとっても大変有難いものである。
しかし一旦やっかい者の面倒を見なくて良くなった途端、しくみとは安易な方向に流れてしまうものである。かつてオートフォーカスの普及と同時に中級機以下の一眼レフのファインダー性能が軒並み退化したのは紛れも無い事実である。この先リバーサルフィルムの記憶が万人から薄れ行くにつれて、必要の無くなった性能や機能は順次自然淘汰されてゆくことだろう。そのときはカメラの概念やカタチが急速に変貌してゆくだろうことは容易に想像がつく。
これまで数十年に渡って一眼レフカメラの性能や使い勝手を向上させてきた原動力の相当部分がリバーサルフィルムというやっかい者を退治するためだったことを振り返るとき、それまでに得た記憶や経験はこの先のデジタル時代にこそ貴重な財産となることは間違いない。そして過去最高のリバーサルフィルムラインナップを誇る今こそ、その経験値を得る最高の環境と言えるのではないだろうか。