【極私的カメラうんちく】第28回:絶対不変のファインダー
EVFというジャンルのデジタルカメラをご存知だろうか。
EVFはボディに内蔵した小さな液晶モニターに表示された映像を、光学的な拡大装置によって観察するファインダー形式を搭載している。もちろん背面の液晶に表示することも可能である。これはビデオカメラでは当たり前の形式だが、スチルカメラとしては少数派に入る。またEVFの「拡大装置」はあたかも一眼レフでいう「アイレベルファインダー」の位置にあることが多いため、「ネオ一眼」と呼ぶメーカーがあるほど外観は一眼レフとよく似ているが、その構造や原理は一眼レフのファインダーとは全く異なるものである。
EVFの内蔵ファインダー像は、背面液晶に比べて廻りの明るさに影響されにくく、安定した環境でファインダーを見ることが可能である。また、EVFは一眼レフに比べると可動式ミラーやフォーカルプレンシャッターなどの複雑な精密部材を必要とせず、電気的に取り出した画像を光学的に拡大するため、小型化や低価格化において有利であり、レイアウトの自由度が非常に高いという大きなメリットも持っている。また今のところファインダーの画素密度は一眼レフに劣るが、電気的に表示する画像の明るさはレンズの開放F値の影響を受けず、そういった意味でもEVFはデジタルカメラとしての原理的なメリットを、いかんなく発揮した形式と言ってよいだろう。
しかし近年はデジタル一眼レフの急激な低価格化によって、EVFと一眼レフの差別化が難しくなってきていることも事実である。また最近のデジタル一眼レフにはライブビュー機能という、液晶画面で撮影前の映像を確認できる機能を持った一眼レフまで出現し、ますますその状況は複雑になってきている。
いってみれば一眼レフのファインダーはフィルムカメラ全盛のアナログ時代に、「その時代の」必要に迫られて開発されたプレビュー機能である。しかし電気的にファインダー像を表示できるデジタルカメラの時代にありながら、ファインダーをわざわざ光学系で構築することは一見無意味な事のように見える。それどころか一眼レフのファインダー光学系には、反射や屈折といった高度な技術が必要であり、高速で精密に作動する動的な構造を必要とする。さらにファインダー光学系の精度はそのままピントの精度に直結するため、コストダウンの上でも大きな障害となっている。
では、今だもって一眼レフが存在する理由とは何なのだろうか。
カメラという装置を『三次元空間を「光速で」二次元平面に転写する装置』と定義するとき、その光束の一部を反射系で取り出しファインダー像として利用する一眼レフは、同様に「光速で」ファインダー映像を表示できる装置といえる。つまり一眼レフの場合、被写体の映像は一切のタイムラグなしにリアルタイムで撮影者の眼に届くが、片やEVFを含む液晶モニターにはどうしても電気的な映像処理の時間が存在する。そのためこの先どんなに技術が進んでも、その表示速度が「光速」で表示する一眼レフをEVFが超えることはありえない。このタイムラグはたとえ僅かであっても、撮影条件によっては大きな障害となりうるのは明らかである。
光の速度は、19世紀末に行われたフーコーやマイケルソンらの実験によっておよそ秒速30万kmであることが判ったが、そもそも精度の高い測定が必要だった理由は、光が波か粒子かで二分されていた当時の科学論争に決着をつけるためであった。もし光が波であるとするならば当然宇宙空間を満たしている「媒質」が存在するはずである。その媒質として当時「エーテル」という物質が仮想されたが、あらゆる方向からの光速を精密に測定し、地球の公転速度がエーテルとの相対速度に与える影響を検出することによって、エーテルの存在を実証しようとしたのである。測定の結果は全ての方向に対して光速は同じであり、結果としてエーテルの存在は否定されたが、その事実からアインシュタインが導いたのが「光速度不変の原理」である。「光速度不変の原理」は、光こそ自然界で最も速くそして不変であり、また光であっても光を追い越せないとする考えで、かの相対性理論の大前提になっている。
過去のアナログメカニズムがことごとく電子化される時代にあって、フィルムカメラのアナログプレビュー機能として発案され、フィルムカメラのために工夫と改良を繰り返してきた一眼レフのファインダーが、デジタルカメラが当たり前になった現在においてもその価値を全く失っていないことはまさに驚きである。そしてその理由が「光速」であるならば、光の速度が「絶対不変」であるように、一眼レフの存在価値も永劫不変であり続けるに違いない。