【極私的カメラうんちく】第35回:デジイチデュアルフォーマット時代
事実上の35mmフルサイズフォーマット(FXフォーマット)を採用した、デジタル一眼レフニコンD3が発表された。35mmフルサイズフォーマットを採用したデジタル一眼レフとしては、しばらく孤高の存在だったEOSシリーズへの対抗として、二大メーカーのニコンから発表されたD3の意味は非常に大きい。そしてニコンD3の登場によって、一つのメーカーが異なる大きさの撮像素子フォーマットのデジタル一眼レフを同時にラインナップする「デュアルフォーマット」あるいは「マルチフォーマット」の時代に入ったといえる。フルサイズフォーマットを採用したデジタル一眼レフはかつてEOS以外にも複数存在したが、同一マウントのラインナップ上で同時に異なる撮像素子サイズが今日まで共存していたのはEOSシリーズのみである。また、D3の発表によって2大メーカーのニコンとキヤノンの両社が35mmフルサイズ相当と、APS-Cサイズ相当の2種類のフォーマットを今後同時に展開してゆくことが明確になった今、特にニコンユーザーにとっては、フィルム一眼の衰退によりその存在が微妙になっていた交換レンズ、特にフィルムカメラ時代からラインナップされていた広角系の交換レンズに新たな生命力が付加されたといえるのではないだろうか。
撮像素子の大きさという観点から黎明期のデジタル一眼レフを振り返ってみると、1995年に発売された、ニコンとFUJIFILMの共同開発によるデジタルスチルカメラ「E2/E2s」を抜きには語れない。「E2/E2s」はレンズ光学系でいったん結像した画像をさらに縮小する別の光学系をボディに内蔵していた。その理由は、当時現実的な値段で調達可能だった撮像素子があまりにも小さかったためである。E2/E2sは撮像素子の前に縮小光学系を持つことによって、小さな撮像素子でありながらも交換レンズの画角はそのまま利用できたが、結果として交換レンズの性能が犠牲になっていたのである。また、その後は縮小光学系を必要としない程度に比較的大型の(といっても35mm判の1/4~1/2程度だが)撮像素子サイズの製品が登場してきたが、撮像素子の大きさはその時々の部品コストと画素数に応じて選択されていたためにその大きさの一貫性が無く、新製品が出るたびに画素数に比例して撮像素子が大型化してゆく状態だった。しかもそれらの製品は当時としては「超」高額の「超大型」撮像素子を採用したことから、一台数百万円の販売価格がネックとなって、「普及」には程遠い状態だったのである。
現在のデジタル一眼レフではAPS-Cサイズ相当のフォーマット(ニコンではDXフォーマット)が主流となっているが、これはF5譲りの堅牢性とISO1600の高感度を達成し、報道系から絶大な支持を得た「ニコンD1(1999年・266万画素)」 と、低価格と小型化を一気に両立させたコンシューマー機として爆発的な人気を誇ったキヤノンの「EOS D30(2000年・325万画素)」の成功に因るところが大きい。この2大メーカーがそれぞれ放ったヒット商品に採用されていたAPS-Cサイズフォーマットが、その後のデジタル一眼レフの撮像素子の大きさのスタンダードとなったと見ることが出来る。その意味では今日のデジタル一眼レフの隆盛がこの2台から始まったといっても過言ではないだろう。
撮像素子の単価は、一時はカメラ本体の製造原価の半分以上とも言われたほどである。つまりデジタルカメラの販売価格を下げて普及率を上げるには、先ず撮像素子の値段を下げなければならない。
撮像素子の価格を下げる要因は様々だが、何といっても「量産効果」に勝るものは無い。同じものを沢山作ることで価格が下がるのである。半導体製品は特にこの傾向が顕著だが、元々値段の高いものをやみくもに沢山製造しても、製品が必ず売れるとは限らない。かといってそのまま手をこまねいているだけでは他のメーカーに出し抜かれてしまう可能性がある。そのためメーカーにはあるタイミングで大量一括生産の決断が要求される。ニコンD1やEOS D30がエポックメイキングだった理由は、両者がそろって当時としては破格の安さで発売されたことである。発売に際しては確実な大量需要が見込める販売価格の設定が大きな課題だったと想像できるが、それでも定価はニコンD1が¥650,000、 EOS D30が358,000だった。これは僅か1-2年前に発売されていた製品が「1画素1万円」と言われていたことを考えればまさに破格の安さであり、結果としてデジタル一眼レフの需要は飛躍的に伸びたのである。そしてその普及とともに大型撮像素子の価格は着実に下がり始め、やがてAPS-Cサイズフォーマットはデジタル一眼レフの主流となったのである。
しかしE2、E2sの時代からすれば飛躍的に大きくなったとは言え、APS-Cサイズの撮像素子は35mm判の半分の面積しかない。言うまでも無くニコンD1やEOS D30の時代はまだフィルムカメラが主流であり、今でもフィルム一眼ユーザーから見ればAPS-Cサイズの撮像素子は依然「小さい」フォーマットである。画素数や画質の問題を抜きにすれば小さいフォーマットは望遠系レンズに有利に働くが、逆に広角系レンズには不利に働いてしまう。ご存知の通り、小さいフォーマットでは画角が狭くなってしまうためである。標準ズームが望遠側にシフトしてしまった当時のデジタル一眼ユーザーは、(安くなったとは言え)依然高価なカメラボディに加えて、大きく高価でズーム比も低い超広角ズームを、「標準ズーム」として再購入することを強いられていたのである。当時はまだ普及し始めたばかりで、しかもフォーマットサイズがこの先何処まで大きくなるのかは全く判らない状態にあり、その時点では現在のようにAPS-Cサイズ相当が業界のスタンダードになるという予測は非常に困難だった。そのため今で言う「デジタル専用」の広角/標準系レンズはどこにも存在していなかったのである。さらに言えば、この時代「超広角」の領域はまだフィルムカメラの特権だった。
面白いことに、この時代の時代背景は1950年代のカメラ事情と奇妙な共通点がある。
1950年代の一眼レフは、光学設計の制約から広角系を苦手とし、またファインダーやミラーの構造が未熟だったためにレンジファインダー機と比較して機動性にも劣っていた。広角から標準/望遠系も無難にカバーし、それなりの機動性を有していたレンジファインダー機と比較して、一眼レフは超望遠とマクロ撮影専用の特殊カメラのように言われていたのである。しかし一眼レフは、その後1960年代になって優秀な広角レンズを次々と獲得することによりレンジファインダー機の撮影領域を次々と征服してゆく。APS-Cサイズフォーマットのデジタル一眼レフもまた、安価で性能の良い「デジタル専用」広角/標準レンズが次々発売されることによって、フィルム一眼レフに対する競争力を着実に付けてゆくのである。
大半のデジタル一眼レフメーカーがAPS-Cサイズ相当の撮像素子を次々採用する一方で、さらに小型の撮像素子を新規格してスタートしたのがフォーサーズである。フォーサーズの撮像素子の面積はAPS-Cサイズのさらに半分、35mm判の1/4ほどだが、小さな撮像素子を採用した背景には、メーカーが謳う望遠系の交換レンズの小型化以外にも、フォーサーズの規格が決定した2002年当時の大型撮像素子の単価が、現在と比較にならないほど高かったという事情が多分に働いたことは間違いない。ここにも撮像素子の「コスト」と「大きさ」の相関関係が見て取れる。
フィルムカメラの時代を知る者にとって、かつて使い慣れていた35mm判のフォーマットには格別の思い入れがある。また近年はAPS-Cサイズのデジタル一眼レフの隆盛に隠れていたが、デジタル専用レンズが無かった時代、誰しもが手に入れやすい35mmフルサイズフォーマットの登場を待ち望んでいたはずである。
大型撮像素子の単価は現在も下がり続けており、ニコンD3の登場によってその傾向は一層加速するだろう。一方でフィルムカメラ時代のレンズラインナップを維持しているメーカーもまだ他に存在する現在、第三、第四の「デュアルフォーマット」メーカーの登場も、あながち夢物語では無いのかもしれない。