【極私的カメラうんちく】第23回:だいぶピンボケ
「ピント」の語源はオランダ語のbrandpuntらしい。brandpuntは「焦げる=burn」と「点=point」の合成語で、日本では「焦点」と翻訳されている単語である。フランスを技術の発祥とする写真の用語にオランダ語が定着しているのは、日本の写真技術がその黎明期に主にオランダから輸入されたことの名残である。
ピンボケとはさらに日本語の「ぼかす」を繋げてできた言葉だが、意図しない部分にピントが合っている、あるいは全く合っていないことを意味し、決して良い意味には使われていない。反対に意図的に画面内にピントを外した部分がある場合は、その部分を「ボケ」と呼んで表現描写の一部分として扱われる。ボケを利用した表現は、肉眼を越えた写真ならではの表現技法であり、そこにはストップモーションやスローシャッターと同じく、視覚を超えた美しさがあるといえる。
ところで筆者が知る限りユーザーの「ボケ」に対する最大の関心事は、その「量」であることが多い。言い換えれば、出来るだけ被写界深度(前後にピントの合った範囲)を浅くする方法とは何かということになるが、その答えとして、ものの本にはよく「絞りを開けること」(小さいFナンバーで撮影する)とある。もちろんそれも一つの方法だが、もっと手っ取り早い方法がある。とにかく被写体に近づくことである。被写体に近づくことは撮影倍率を上げることのみならず、背景と被写体の距離を、撮影距離に比較して相対的に拡げる意味もあり、二つの意味で効果的である。たとえば全身のポートレートなら、立っているモデルに座ってもらうだけで、全身を画面内に収めながら撮影距離を相当に縮めることが出来る。
また同じ撮影倍率(構図)で撮影するならば、長い焦点距離のレンズを使用することである。ズームレンズならば、長焦点側を使用するだけでもかなりの効果を得られる。もちろんこの場合、同じ構図で撮影するためには撮影者が後ろに下がる必要がある。
そしてもし同じ構図(同じ撮影倍率)で、さらに同じ撮影位置で背景をもっとボカしたいならば、そこで絞りを開けるか、または大口径レンズに切り換える選択をすべきである。
ところでレンズの描写についてうるさい人になると、ボケ部分の描写特性を「ボケ味」と表現し、「量」のみならずその「質」についても大きな関心を持っている。理想的なボケ部分の描写特性については様々な価値観があると思われるが、一般的に「美しいボケ」とは「輪郭が溶け込むように他の背景になじんでいる」ものであるらしい。反対に美しくないボケの典型が「二線ボケ」と呼ばれる、輪郭のはっきりしたボケである。
ボケ部分の描写性については、よく絞りの形状が取沙汰される。「美しいボケ」のためには絞りの形状は円形が理想的であり、それが重要な要因であることに間違いは無いが、実はレンズ収差の一種である「球面収差」が大きく関わっていることをご存知だろうか。収差とはレンズの結像性能を低下させる光学的な負の要因のことだが、当然ながら少ないほどよいものとされている。そのためレンズ設計者は、出来るだけ収差の少ないレンズを設計しようと腐心するのだが、「ボケ味」についてはこの球面収差を残したほうが良い場合がある。もちろん、球面収差があればそれでよいというものではなく、その残し方によってはボケ味の良いレンズの設計が可能であるという意味である。
また、ボケには被写体の後方に出来る「後ボケ」と、被写体の前に出来る「前ボケ」があるが、通常のレンズ設計ではその両方を同時に「美しく」することが出来ない。収差の残し方は設計段階で決まっており、その時点で前後の「ボケ味」も決まってしまうためである。そのため折角ボケ味を重視して設計されたレンズであっても、たとえば後ボケが良い反面、前ボケがよくないなどの余計な批判の対象となる場合がある。
そこで考え出された究極の方式が、ニコンのDC(デフォーカス・コントロール) ニッコールレンズである。DCニッコールはその名の通りデフォーカス(ボケ)部分の描写を制御できるレンズであり、レンズ本体に設置されたDCリングを手動で適正な値にセットすることにより、収差を変化させて前ボケ重視と後ボケ重視を使い分けられる設計となっている。結像性能にも直結する収差補正を任意で行うためには、ユーザーに光学に対する一定レベルの理解が必要であり、その意味で商品化には難度の高い仕様といえるが、むしろ前述の事情を日々身に染みて感じている光学設計者の積年の思いが詰まった意欲的な製品として評価されるべきだろう。もちろんDCニッコールが円形絞りを採用しているのは言うまでも無い。
ボケを生かした撮影といえば、望遠系レンズやマクロレンズを使用した撮影方法が一般的であり、それらが一眼レフによって大幅に普及したことに疑問の余地はない。また狙ったところにシャープなピント部分があるからこそ生きる技法であり、その意味では一眼レフの自動化やレンズの改良が、ボケを生かした撮影技術を育んできたともいえる。突き詰めて考えると「ボケ」を生かした撮影技術とは、より困難な条件でピントや露出を合わせることと同様、近年のカメラ技術の進化改良が生み出した表現技法なのである。ロバート・キャパが「ちょっとピンボケ」を著した時代とは、だいぶ様変わりしたといえるだろう。