【極私的カメラうんちく】第24回:丸いのにはワケがある
一眼レフの交換レンズは、何故どれも円柱形をしているのだろうか。
それは交換レンズ内部に組み込まれている各レンズが、それぞれ円形をしているからに他ならない。
ではなぜレンズは円形なのか。
まず殆どのレンズの表面は、凸レンズであっても凹レンズであっても、球面の一部を成す形状に成型されている。もちろん球面の盛り上がり具合やヘコミ具合には様々な度合いがあり、また光学系の一部に非球面レンズを採用した光学系も珍しくはなくなった昨今だが、現在製造されている写真用レンズの大半は依然として球面レンズである。一方で全ての球面は同じ曲率を持つ球体の一部分といえるが、球体とは典型的な回転対称立体であり、当然その一部分である球面も回転対称と言える。
つまり、回転対称の立体を成型する最も効率的な方法として、例えるなら「ろくろ」を回すようにして回転運動によって削りだされるレンズにとって、仕上がり形状が円形であることはことさらに都合が良いのである。
ちなみに眼鏡を作ったことがある人ならばご存知だろうが、最終的にあらゆるデザインに加工されている眼鏡レンズも、加工される前は円形である(それもかなり大きい)。製品としての眼鏡は、元は円形のレンズをフレーム形状にあわせて削り直してあるだけのことである。
では「球面」とはレンズにとってどんな意味を持っているのだろうか。言い換えれば、レンズの表面が球面でなければならない理由とは何なのだろうか。
写真レンズの大半に球面レンズが使われる理由は、ガラスの硬度などの問題は別として、球面は加工が比較的容易で、かつ高精度なものが作り易いためである。(とはいってもそれなりに難しいのは確かだが)
高精度な球面レンズの削りだしの工程で重要なのが、「カーブジェネレーター」である。「カーブジェネレーター」は表面がダイヤモンドでコーティングされた筒型の砥石であり、レンズ表面の球面曲率を決める重要な「荒ずり」の工程で比較的古い時代から使用されている。驚いたことに、カーブジェネレーターはその特殊な形状をうまく応用することにより、一つのカーブジェネレーターで様々な曲率をもつ凸レンズや、また凹レンズでも削りだすことが出来るという。このカーブジェネレーターの存在のおかげで、様々な曲率をもった非常に精度の高い球面を削りだすことが可能になっている。
一方で、レンズには「収差」という正確な像を結ばない負の要因が必ずあり、それを極小化するべくレンズ設計者が日夜頭を悩ませていることはご存知だと思う。しかし写真レンズにおいては、今日においても「収差」を完全に取り除くことが出来ないのもまた事実である。写真レンズの収差には有名な「ザイデルの5収差(球面収差、非点収差、コマ収差、像面湾曲、歪曲収差)」の他、「色収差(軸上色収差、倍率色収差)」があるが、なんとザイデルの5収差全てが、レンズが球面で構成されていることが原因で発生するのである。
高い工作精度を要求されるが故に球面となったレンズが、球面であるが故に収差に悩まされるとはいかにも皮肉だが、実は球面が利用されることは幾何数学的な意味からも、当然の成り行きと言える。もともと円や球は、正多角形や正多面体の究極の形状として古典数学の時代から幾多の幾何数学的な研究対象となっていた。それらの知識は、多少面倒な計算が必要ではあったとしても、球面で屈折した光線がどう振舞うかについて正確な予測をする方法として、つまりレンズを設計する段階でおおいに役立つことだろう。収差を完全になくすことは出来なくとも、球面が幾何数学的に研究し尽くされた対象であるが故に、球面が原因で発生する収差を極小にするための手段は、幾何数学的に導き出す事が可能というわけである。非点収差と像面湾曲を同時に解消するために、ペッツバールによって導かれた「ペッツバール和」の公式はその典型である。
一方で球面と同じ回転対称の形状であっても、非球面レンズは古典的数学による球面レンズ設計から脱却した、いわば新世代の光学設計技術と言える。非球面レンズは、複雑で膨大な光線追跡を超高速で成し遂げる環境があってこそ可能な設計技術だが、現在その功績の多くは高倍率ズームレンズの性能向上とその小型軽量化に向けられている。しかし非球面レンズの黎明期には、大口径単焦点レンズの性能向上が主な目的だった。大量生産がままならない当時の非球面レンズは高価で希少だったが、色収差補正の切り札として登場した特殊低分散ガラスなどとちょうど同時期の、1970年代から写真用レンズとして実用化された歴史を持つ。
米マイクロソフト社の入社試験問題には、マンホールの蓋が丸い理由を問うものがあったらしい。答えは簡単明瞭である。しかし、レンズが丸い理由を問う場合、そこには古典数学の時代まで遡る深い理由があったのである。