ライカブティックMapCamera Shinjuku は、2月20日にオープン8周年を迎えました。
これもひとえに、たくさんのお客様のご愛顧あってのこと。心より御礼を申し上げます。
さて、1年に1度のライカブティックにとって記念すべきこの2月。
8回目の今年は「ライカ恋慕」と、題しまして、マップカメラきってのライカ好きに、ただひたすらと「一人一人のライカ愛!」を語ってもらいます。
ライカはとにかく高価。
ライカは歴史が長くて敷居が高い。
ライカというだけでピント合わせるのも難しそう。
今でもまだそう感じている方も多いのではないでしょうか。
確かに、価格や長い歴史、操作方法などは事実として変わることはないでしょう。
それでも数分後、このブログを読み終えた前と後では何かが違って見える、かもしれません。
様々なハイスペックカメラが世に溢れる今の時代に、ライカを愛し、使い続ける理由とはなんなのか。
十人十色の視点から愛でるライカ、さあ今回も紐解いてまいりましょう。
さて、今回はLeica M9を愛用しているスタッフの記事です。
デジタルを愛する者、フィルムを愛する者からそれぞれライカ愛をたっぷりとお届けいたします。
この子たちが大きくなるまでに、良い写真が何枚撮れるのだろうか。
時間が無限にあると思っていた10代。1日が24時間では足りないと思っていた20代。あれ?なんだか今までと色々違うぞと感じてきた30代。
仕事でも遊びでも好き勝手にやって生きてきた私は32歳の時に父親になりました。
日に日に大きくなっていく可愛い可愛い我が子。
昼寝の寝顔、転んだ時の泣き顔、嬉しい時のにっこり笑顔、その姿を事あるごとにカメラやスマホで撮っていたのですが、
ある日、ふと「今まで撮ってきた中で、自分の気に入る写真はどれほどあるのか」と思ったのです。
綺麗に写っている、可愛く撮れている写真はたくさん撮ってきました。
子供の記録写真はそれが全てだと思いますが、本当にそれだけで良いのか?という妙な疑問が湧いたのです。
それはカメラを始めた頃とも似ていて、最初は綺麗に撮る、上手に撮る事ばかり考えていたのですが、いつからか自分が気に入る一枚がどうすれば撮れるのかという考え方に変わっていました。
そして、それは子供の写真でも同じ事ではないか、と。
そう考えて数日も立たないうちに今まで使っていたミラーレスシステム一式を売り払い、私はライカを買いました。
手元に来たのは高性能なAFも、高感度耐性も、動画機能も、何もない。
ただただ、写真を撮る事だけしか出来ないM型デジタル機『ライカ M9』。
もう2世代後継であるM10が出ている今。なぜ10年前のデジタルカメラM9を選んだのかと言うと、それは単純にこのカメラで撮れる写真が好きだから。
不思議なのですが、M9の写真は何かが違うように感じるのです。フィルムとデジタルの中間のような。画像ではなく写真のような。
そしてレンジファインダーが私の撮影スタイルに合っていたというのも大きいかもしれません。
自分のタイミングで直感的にシャッターを切らしてくれるカメラは、実はありそうでないのかなと。
ピントが合ってないとシャッターを切らしてくれないカメラが世の中には多いですから。
もともとオールドレンズが好きで、絶対にライカレンズじゃないとダメ!というこだわりはありません。
どちらかというと、その時代の設計者のこだわりが感じられるレンズが好きです。
限られた事しかできない時代の中で、描写に何を生かして何を殺すのか、設計した方の美学が感じられるような。
私の『ライカ M9』に関しては自分で赤いロゴを黒く塗ったり、革を貼り替えたり、光沢を出すためにコンパウンドで磨いたりと、色々やりました。同僚からは「え!ライカを削ったの!?(真鍮地金を出すため紙やすりで少々)」などと驚かれるのですが、カメラは自分なりにカッコよくてナンボのもの。昔遊んでいたバイクいじりの延長みたいなものです。
子供がメインの被写体だったのですが、おととし家族に加わった保護犬に加え、昨年秋には保護猫も家族に加わりました。賑やかですが、まぁみんな可愛い子たちです。
今年で私も40代の仲間入り。自分が年を重ねるスピードと、子供たちが成長するスピードの差に驚くとこもしばしばありますが。
このカメラがダメになるまで撮っていきたいと思っています。
自分が大好きな被写体を、自分が大好きなカメラで撮って、自分が大好きな写真が出来上がる。
こんなに最高な事は他にないのではないかなと。
二度と戻らないその大切な瞬間をライカで残す。私にとって非常に意味のある一台です。
M9も良いカメラですが、M10は文句なしに良いカメラです。M10を開発する際、好評だったM9の色味を参考にチューニングしたとか。 私も予算が許すのであればM10-Pだったなぁ、という本音はここだけのヒミツです。