外へ出かける機会が少なくなり、日々の思い出の凹凸が減りつつある今日この頃。
昨年末、冬至でもないのに柚子の浮かぶ浴槽に浸かりながら考える事。
(あれを食べたのはいつだっけ)
(あの話で笑ったのはいつのことだっけ)
毎日の「ほとんど」が似たようなことの繰り返し。
ただ、似たような時間は一日の「ほとんど」であって「ぜんぶ」ではないことに気が付きます。
大事なのはその日を占める「ほとんど」以外の少しの時間を記憶に残しておくこと。
「なんかええ方法ないかな…」
軟くなった柚子の皮を抓ると、吹き出す冬の匂い。
毎日をちょっとずつ、記憶に留めておくことは意外と簡単かもしれません。
FUJIFILM (フジフイルム) instax SQUARE SQ6 は、ましかくの写真を撮影できるチェキです。
操作も簡単なうえ、フィルムで写す日常風景は非日常の見え方で特別感を演出してくれます。
ちょっとした心の動きや、珍しい、残したいと思った場面。
今回はそんな、記憶の大河に埋もれてしまう「とある日常の1コマ」を形に残してみます。
河川敷で拾った‟きれいないし“も、ぼちゃんと投げ入れてしまえば川の一部。
でも、持ち帰って窓際に飾れば、途端に宝物。
例えば、駅のエスカレーターから見る壁に影の世界を見つけた日。
この世界、誰かに話そうにも言葉では説明できないことが多くあります、この光景も例に漏れず。
ギリギリ間に合った電車の中でフィルムを確認して、「よかった、写っとるわ」と心の中で呟きます。
「こんなもの見つけたよ」そんな他愛ない報告も、フィルム一枚添えて話せば、少しリアリティが増して今日の思い出として残り続けるでしょう。
例えば、暖炉の火のぬくもりに手をかざした日。
第三者にとっては、ただの火が写っている写真。
自分にとっては、大切なあの日が写っている写真。
綺麗に撮れているかどうかが重要ではなく、自分が何を思って過ごした日か認識できればいいのです。
カレンダーを遡って、書き込みの無い一日。
日記に書き起こすほどでもない、その一日。
私は、その日が存在しなかったかのように思えて悲しむことが少なからずあります。
一枚だけ撮って、一枚だけ貼っておけば、その日生きたことを忘れずに済むので、少し安心。
例えば、信じられないほど美味しかったお昼ご飯を食べた日。
ここまで大きな感動はもはや忘れるわけもありませんが。
ボケてしまっているのは…敢えてそうしただけ、と自分に言い聞かせて。
決して待ちきれなくてマクロモードにし忘れたわけではありません。
SQ6にはマクロ撮影モードもあります。
敢えてボケている写真というのも趣がありますが、綺麗に撮りたい場合は使ってみてください。
30cm~50cm付近の被写体にピントが合った写真を撮影できます。
例えば、晴れの日。
何もせず、ただ外を眺めていた日。
カーテンが「眩しい」と言っているのが聞こえた日。
このカメラは多重露光ができるんだった。
そんなことを思い出して、カーテンの中と外を1枚に収めてみます。
真っ白になるほど眩しいけれど、なんか、エモいな。
それだけで一日は十分に報われるような気もしてきました。
軽くなった腕でコーヒーでも一杯、いや二杯、淹れましょうか。
例えば、あの日。
なんだか滲んでしまったあの日。
記憶に留めておこう、留めておこう、と必死になっても薄れてしまうことが分かっているあの日。
せめて何か残そうと躍起になってとった写真。
自分を含めた誰が見たってそれが何を撮ったかはわからなくても、確かにその日は存在したことを保証してくれる一枚となってくれます。
例えば、一週間遅れの柚子風呂でいっぱい考え込んだ日。
湯冷めしてしまわないように、せっかく温まった体を保温するみたいに着込んだ洋服。
今日も元気にそして、のんびりと一日を過ごしている自分を「偉いよ」と散々甘やかして夕飯の買い物に出かけます。
ましかくの写真は、なんだか可愛げを感じられて親しみやすいですね。
人の目は左右にふたつ付いているので、当然見える景色は、横長。
毎日と言っていいほど目にしているスマートフォンの画面、縦長。
自分の目で見る横長の景色。
画面越しに見る縦長の景色。
たて、よこ、どちらも見慣れている現代人。
だからこそ正方形は、ちょっと目新しい。
いつもとは少し違った形で、いつもの日々を切り取ってみてはいかがでしょうか。
今回使用した機材とフィルムはこちら
良い機会と良い記憶には手に馴染む良い色の機械を。
持っていてテンションの上がるカメラは必然と軽く感じられます。
フィルムは今回使用した他にもいくつか種類が出ています。。
チェキは10枚撮り切るごとにフィルム交換できるので、細かな世界の変化に合わせてどうぞ。