【Nikon】京葉線と共に振り返る私のカメラ史
今年の始め頃から私の地元駅では、京葉線が開業30周年を迎えた記念として、階段にラッピングが施されています。
京葉線が開業した頃といえば、私が丁度カメラを始めた頃。懐かしい写真がいっぱい眠っているはずと思い、久しぶりにアルバムを開いてみました。
最初に出てきた写真は32年前の写真です。
京葉線は当初、大井埠頭側にある「東京貨物ターミナル駅」から東京湾沿いに千葉方面へ結ぶ貨物線として計画され、多くの貨物列車が走っていた武蔵野線との接続駅である西船橋駅を起点に開業しました。今回の開業30周年は平成2年3月に京葉線の東京駅が開業し、東京~蘇我間の全通した記念なので、もう少し後の話になります。
昭和61年3月に西船橋~千葉みなと間で部分開業した京葉線。現在はワインレッドがラインカラーになっていますが、開業当時はスカイブルーの車両が活躍していました。
当時、一緒に写真を撮っていた友人から望遠レンズを借りて撮影したカット。レンズを交換するだけで全く違った写真が撮れる一眼レフに感動し、次に買うレンズ探しで頭が一杯でした。
昭和63年12月に西船橋~新木場間と、千葉みなと~蘇我間が開業すると、武蔵野線からの直通運転も開始されます。写真は開業前の試運転の様子。
開業に伴い、非常時等に列車を自動で止めるATSの最新版(-P)が導入されるも、運用車両に装置を搭載するスペースがなかったことから、ヘッドライト左の運用番号表示窓を埋めてスペースを捻出していました。他の車両と異なった顔に違和感を持ったのを覚えています。
車両不足を補うため、総武線から黄色い車両も拝借。1つの路線をスカイブルー、オレンジ、黄色とカラフルな車両が彩りました。
余談ですが、カラフルな車両といえば過去にこんなイベントも行われていました。
昭和62年に運転された「おもしろ電車」です。首都圏を走る各線から5色各2両が集められ、10両編成の山手線として走りました。
当時はまだカメラを持っておらず、記録は記念に発売された「オレンジカード」のみ。そんなオレンジカードをなぜ紹介したかと言うと…
カードを収める台紙の裏面がニコンの広告だったんです。
山手線の車庫(山手電車区)は大井町駅脇にあります。そして大井町といえばニコン大井製作所。駅前からニコンのロゴで埋め尽くされた光学通りという道が伸びるほど縁のある街です。これが繋がりかどうか分かりませんが、当時カメラが欲しくて堪らなかった筆者は半年後、これに記載のカメラを手にする事になります。そしてどっぷりニコン沼に落ちていくのです。ニコンさん、いい広告出しましたね…。
過去には京葉線内をデゴイチが走ったこともありました。しかもスポンサーがコニカ。
先ほどのニコンの広告といい、当時はAFカメラが普及しはじめた頃だったこともあり、写真メーカーとのコラボ企画が多くあったように記憶しています。
肝心な写真のピントは結構甘め。スキャンの際、引き伸ばした影響もありますが、当時のAFで追従しながらの撮影ですから致し方ありません。
ちなみに Nikon F-501は、昭和61年に登場されたAF一眼レフカメラ。ニコンのAF一眼レフ機としては、F3AFの次に登場したモデルです。F3AFはレンズ内モーターを搭載した専用レンズを必要としましたが、F-501はボデイ内のモーターでレンズを動かす方式を採用しました。
今となっては、レンズ内モーターで進めておけば…とも思いますが、本機はF3AF用レンズも使え、専用のテレコンバーターを使用すればマニュアルレンズでもAF撮影ができるという優れものでした。
外観は、何故横向に入れた?と言いたくなる伝統の赤いラインは別として、独立したシャッタースピードダイヤルにフィルム巻上げレバーの下にあるISO感度の入力窓。角ばったデザインに斜体でないNikonロゴ等、改めて見ると、一番かっこいいとされる(筆者の独断と偏見)Nikon Dfを彷彿とさせませんか? …言い過ぎました。
話を京葉線に戻します。
SLコニカ号の運転終了後は、京葉線の車庫で撮影会が行われました。
雨の中、何枚か撮影していたら1枚だけ露出が異なるカットが混じってました。周りの人が使ったストロボの光に干渉した様なのですが、当時は理由が分からず、買って間もないのにもう壊れたのかと心配しました。
就職を機に鉄道写真を離れるも、社内の鉄道ブログ担当に誘われ撮影を再開。カメラもデジタル一眼レフに変わってました。
平成19年3月に京葉線に投入されたE331系。試作車が数回運転されただけで終了した短命な車両でした。そして、私のカメラも目まぐるしく変わっていきます。
10年前の京葉線開業20周年記念は、式典まで見に行ってました。
当時の京葉線の主力205系。山手線等で使われていた同型の車両とは正面のデザインが異なっています。デビュー時、東京ディズニーランドをイメージしてデザインされたと報じられたことからファンの間では「メルヘン顔」と呼ばれていました。
こちらが普通顔の205系。先のカットと見比べてメルヘンさ感じられますでしょうか?
筆者の機材もいつの間にかフルサイズデジタル一眼レフに。当時専用のマルチパワーバッテリーパック MB-D10に、D3用のバッテリーEN-EL4aを搭載すると、連写スピードがアップしたD700。
秒間8コマに拡張すると連写による音と振動が凄まじく撮った満足感が高いモデルでした。
平成23年6月に201系の運用が終了し、京葉線からスカイブルーの車両が消滅。現在のワインレッドカラーに統一されます。
そして現在の京葉線です。撮影場所は新木場駅。
当初計画の貨物線ルートは現在のりんかい線に引き継がれ、京葉線は成田新幹線(昭和46年に計画された東京と成田空港を結ぶ高速鉄道)用に準備されていた東京駅の地下トンネルに向けて大きくカーブします。
時代の流れで計画が大きく変わった名残の場所。フェンスが高く写真は撮りづらいですけど、好きな場所です。
最後にSLコニカ号を撮った南船橋駅にも寄ってみました。30年経ってカメラもレンズも大きく進化しましたのでピントが甘いということはありません。
何より長期間保管しても引き伸ばしても(限度はありますが)画が劣化しないのは凄いです。デジタルですから当たり前な事ですが、過去の写真を振り返っただけに余計そう感じます。
ISO感度も自由に設定できるので、シャッタースピードにも余裕があります。一方で列車の行き先表示がLEDになったことで、シャッタースピードが速すぎると、本カットの様に表示が読めなくなります。これを綺麗に撮ろうとするには、1/160秒以下(車両によって異なります)にする必要があると言われてます。動体相手に1/160秒はハードルが高く、30年経っても綺麗な写真は簡単に撮らせてもらえないようです。
まだまだ精進が必要です。