【Canon】フルサイズ一眼と巡る、美しき旧時代の遺構たち
CanonCanon L lensEOS 5D Mark IVカメラと共にズームレンズを楽しむ一眼レフ動画撮影厳選アイテム
朽ち果てた旧式の巨大機械や、役目を終え沈黙した場所に惹かれるのは一種のメガロフォビアなのでしょうか。
冷暖房の効いた快適な自室から山奥まで車を走らせ、眠り続けているそれらに出会う度、感動で体中が震え、身動きが取れなくなります。
怖い。でも美しい。
意匠も構成も何もかもが今の物と違う、荒々しく力強い、それでいて繊細なノスタルジア。
今日はたっぷりご紹介します。お付き合いのほど。
まずは動画で。
冬から夏にかけ、様々な場所をめぐりました。
深い森を走り抜け”その場”から遠ざかった今尚、彼らに呼ばれている気がするのです。
旧き場所へ、ようこそと。
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12月。
山口県大津島に遺る魚雷発射場。
鋭く刺さる海風に乗って、柑橘の香りが届く午後。
「オフシーズンの平日に来客は珍しい」と島の中で話題になっているとは露知らず、遺された遺構を隈なく巡りました。
2月。
奥多摩氷川で現役の鉱山トロッコ。
一体いくつの車両が稼働しているのか、200番台の番号が振られた車体も。
クマよけの鈴と自らのはく息、そしてトロッコがレールを踏み荒らす地鳴りに交じり、かすかに沢の音が響く深い森。
木の葉に捕えられなかった僅かな陽光のみが地に届き、底冷えする森を照らしていました。
4月。
埼玉県秩父市の滝沢ダムを上部より望むと、眼下には山深い場所特有のダークビリジアン。
堤高132mのこの場所に立てば、吹き抜ける春風も決して優しくはありません。
動画ではウィンドシールドを使用して尚、ノイズに苛まれたため音声をカットしたシーンです。
放流されたダム水は中津川へ流れ込み、やがて荒川へと合流していきます。
5月。
古くから防衛の要として要塞が敷かれた三浦半島には、猿島を始めとして様々な遺構が残ります。
これは近年になって発掘が進んだ千代ケ崎砲台跡の一角、一説によると兵士の懲罰部屋かと思われる場所。
要塞全体が斜面を利用した立体的なつくりになっている為、西日の時間には思わぬ光に出会えることが。
アクセスが良いだけでなく付近には浦賀ドックや観音崎公園があるため、1日使って猿島も込みで巡ると深く歴史に触れられます。
同5月、太平洋戦争で機銃掃射を受けた、旧日立航空機立川工場変電所。
重い雰囲気の写真からは想像しづらいのですが、子ども達の笑い声が響く東大和南公園の只中に在ります。
2階部には往年の蓄電池や仮眠室が残り、そちらは見学も可能。
物言わぬ鉄の塊として戦争の悲惨さを訴え続けています。
6月。
35年前に沈黙したDD53 1(ロータリー未改修)。
除雪車として北海道旭川で運用されていたとのことですが、その強力な除雪能力のせいで沿線の建造物を破壊し電線を切断する事もあった機体。
亡骸となった今でも凄まじい威圧感に気圧され、カメラを構える手が震えました。
それでいて尚、動いている姿が見てみたいと望んでしまう、不思議な列車です。
同6月、群馬県。
碓氷線の電化に伴い建設された、旧丸山変電所。
機械室・蓄電池室の2棟からなり、急峻な碓氷峠を超える列車の登坂時に放電し電力を補った場所です。
微かに光を届ける窓から覗くと、機械室に当時の構造物は残されていないように見えました。
がらんとした空間には、部屋に囚われた光溜まりが揺蕩うばかり。
同6月。群馬県熊ノ平駅跡。
かつて存在した国鉄信越本線の駅で、元々はアプト式※鉄道の給水給炭所でした。
(※急勾配を登坂する為、歯状レールを敷き、機関車の床下に取り付けられた歯車を噛み合わせ走行する方式)
一度は駅に昇格するも、1966年に信号場へ降格。1997年に廃止された後は”アプトの道”の終着点として、訪れる人を静かに待っています。
デザートは涼しめの写真で。
朽ち果てたオート三輪が眠る湖畔、梅雨入りの遅れた空は最後の快晴。
紅茶を飲んでレンズを変えて、車のキーを鳴らしたら。
また次の遺構で、会いましょう。
冒頭の動画、全て一眼レフで撮りました。まだまだ現役だと思います。
中古商品も見逃せません。