季節のグラデーションを感じにくくなったのは大人になったからか、それとも単に異常気象によるものなのか。
年を重ねれば重ねるほど人間は落ち着きを纏っていくものだと錯覚していましたが、若い頃はそう見えていただけ。その実、日々をまたぐ1歩が少し大きく、そしてさらに大きくなったがためにあくせく目移りしていた小さな時分からすればのんびり落ち着いているように見えただけなのでした。結局のところ日は、季節は、早々と過ぎ、焦り、あの思い描いていた余裕は、さほど生まれません。私だけでしょうか。誰だってそんなもんだと誰かが声を掛けてくれるといくばくかの安心は得られそうなものなのですが。かつて24節季の曖昧さを笑っていた私の1年が12色相環くらいになり、さっき始まったばかりの夏が終え、秋も既に過ぎ去ろうとしています。
さて、この蛇口を捻りすぎた流水のごとき日々。その絶え間ない時間の流れを何とか繋ぎ留める小さな小瓶がカメラであり、また産物の写真です。空気抵抗ならぬ“時間”抵抗に削ぎ落されて、磨かれて、私の手の中に残ったのはLeica M10-Pでした。カメラ噺のタネは無数に萌芽するのですが、特にこの芽は固く、そして鋭く私の時間を切り裂いては千切り蒐集してくれる代物。
メインレンズはエルマー35mmからズミクロン50mmへと変化しました。未だに35ミリを標準とする派でいるつもりですが、あえてこの50mmという自分にとっては狭い画角で切りとることが楽しく感じている頃合い。身体に染み付いた35mmブライトフレームは目を開けてさえいれば常時点灯で、まだまだ50mmフレームは明滅と言った感じ。新鮮さを噛みしめながら四苦八苦、七転び八起き。
去ってから振り返ることほど夏を寂しく感じる体験はこの上無く、その夏自体が日に日に短くなっていれば猶更。巷では「春と秋が夏に吸収されている」という表現もありますが、正しい夏は思い描くあの夏だけなので、ごくわずか十数日の間だけが正真正銘の夏なのです。クマゼミが鳴いているあの時間、うだる、を超えた熱の塊を身にうけるあの時間、それだけ。東京に来てからはめっきり無くなってしまいましたが。
勇ましいからこそ居なくなると寂しい、煩いからこそ黙ると寂しい。少し振り返ってみます。
7月、地元である京都へ。
宵山は高校生の時に友達と行ったのが最後でした。いつでも行けるし暑いから、とそれ以来結局上京するまでテレビ越しに見ていた光景を10年ぶりに。
不思議な街です。道は変わらないのに通りの表情は徐々に変わり、そうかと思えば100年以上変わらない建物もあちらこちら。
夏の京都、宵山。クマゼミが鳴くいつもの通りに影が差し、燦然と聳え立つ違和感たるや。
夏の本番は避暑地、嬬恋へ。
毎年訪れるのが恒例となっているこの高原の思い出は両手では足りぬほど。
人がわんさと溢れる軽井沢から浅間山を横目に1時間くらい、とにかく心地よい標高を体に感じながら。
セミよりも鳥のさえずりが占有するキャベツ畑のほとりで下界を忘れるひととき。
夏らしくない夏。夏休みの真っただ中に刷り込まれた、わずか1週間の涼しさ。
夏の締めくくりは三浦・城ヶ島。
平野では秋の気配など見つけられやしなくとも、海から吹き付ける風は既にどこか涼しげでした。
今思えばこの辺りからです、夏の猛威を感じなくなってきたのは。
らんらんと身の回りを埋める熱気がなりを潜め、見やれば目が合うほどに落ち着いてしまった夏。
若者のなんとやら、いつもこの時期は焦ってシャッターを切ることに。
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些かコントラストが高く感じた今年の秋入り。ついこの間までは夏だったのにね、こんな会話もいつしか周回遅れで回ってくるのではとおびえる日々。ハードディスクの起動音とともに雪崩れ込んでくる瞬間の記憶の数々が、そんな不安を少し鈍化させてくれている気がしています。
28mmや75mm、果ては90mm、135mmにも手を出しては離し、また手を出しては離してきたここ数年。いよいよ今この2本があれば完結するような予感を秘めています。それもそのはず、私にとっての全広角レンズ代表選手「エルマー L35mm F3.5」はいざ知らず、固定鏡胴の方はああでもないこうでもないと数年悩み抜いて決断した1本なので、そう簡単に覆されては困るのです。とは言えここまで手に馴染むとも思っていなかったわけですが。
いくつか思い当たる要因として、前玉の直径や鏡胴の全長、写りでは前ボケ、後ボケの癖の残り方などを予想しています。ボケ方は写真で見て頂いた通りですが、不思議なことに写りに関係なく【自分が50mmだと認識するレンズの大きさ】があるらしく、その証拠に大きくサイズの異なる他の50mmは構えた時点で何かが“しっくりこない”のでした。
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夏の次の季節、10月の気温、金木犀の匂い。まだ始まったばかりなはずの秋。
思い出の中ではもう少し長かった気がするのですが。
師でもないのにもう師走の忙しさ、冬将軍も待ってはくれないようです。