【タイムズフォト】ほどよい面倒くささは絶妙のスパイス!
突然ですが、皆さんはピントを合わせるのはお得意ですか?実は私はピントを合わせるのが苦手です。オートフォーカス(AF)があたりまえの時代、「ピントなんてカメラが合わせてくれるんじゃないの?」というご意見もおありでしょうが、デジタル一眼(当然オートフォーカス)で撮る場合でも「本当にこの位置で良いのだろうか?」と、つい何度もフォーカスし直してしまう傾向があります。そのせいでシャッターチャンスを逃す事も数限りなくありました。
なぜフォーカスし直したくなるか考えてみると、なんとか自分の意思をもぐりこませたい!という意識がそうさせるのではないか?という気がします。
最近はレンジファインダー機や銀塩一眼レフで使っていたMFレンズをアダプターを介してマイクロフォーサーズ機に使用する楽しみを知り、どんなレンズでも撮影 → 即デジタルデータという手軽さから本来の機種での撮影よりもそちらでの撮影比率が急上昇。
液晶ビューファインダーの拡大表示機能を使ってのピント合わせは結構時間がかかり、どうしても「じっくり考えて」撮るというスタイルになります。
まず全体の構図を確認し、カーソルをメインの被写体に移動してクローズアップ。念入りにピントを合わせたらシャッターボタン半押しで全体表示に戻し、ボケなども確認してようやくレリーズ、という運びになります。
正直どちらかというと「面倒な」操作性と言えるのですが、この面倒くささこそが、写真に何かを与えているような気がします。
「新宿御苑の寒桜」
LUMIX G1 Leitz Summitar 5cm f2/f2 AE
LUMIX G1 Leitz Summitar 5cm f2/f2 AE
第一に「じっくり考えて」撮っているのであとから見直した場合でも、その写真を撮ったときの状況を比較的良く覚えています。
第二にピントを合わせる対象を自分で選ぶ必要があるので、カメラが決めたのではなく確かに自分の意思で決めたという意識が残ります。
つまり「面倒くささ」が一種の「充実感」に変換されているようです。
「これは何かに似てるな」と考えてみると思い当たるのがマニュアル車でのドライブ。例えばちょっとしたワインディングロードを走る場合の、とあるコーナーでのギアの選択、そこに意味を持たせる事、例えばなぜそこで3速に落とすのか、という事などが「自分の意思で車を操っている」という充実感につながるのに少し似ている気がします。
LUMIX G1 YASHICA ML MACRO 55mm f4/f5.6 AE
LUMIX G1 YASHICA ML MACRO 55mm f4/f4 AE
LUMIX G1 YASHICA ML MACRO 55mm f4/f4 AE
LUMIX G1 YASHICA ML MACRO 55mm f4/f5.6 AE
絞り、シャッター、巻上げなど全てを自分の手で行う銀塩カメラでの撮影をクラッチ操作の必要なマニュアル車の運転だとすれば、マニュアルでピントを合わせるものの絞り優先AEでの撮影であり多くの部分で自動化されているマイクロフォーサーズ機+マウントアダプターでの撮影はマニュアルモード付きAT車のドライブのようなものかもしれません。
それでもそこに自分の意思が入っているという思いこそが撮れた写真への「愛着」につながっているような気がします。
さらに古いレンズを使って撮った場合は「○十年前のレンズで・・・」というロマンティシズムも加味されてさらに「愛着」は深まります。
マイクロフォーサーズ機+マウントアダプターのほどよい「面倒くささ」はなかなか気持ちのよいものです。ふだんは銀塩一辺倒の皆様も、またデジタルオンリーの皆様も、もしよかったら是非体験してみてください。もしかしたら新しい世界がひろがるかもしれません。