……がしかし、ものすごいことに、表面は青いくせに黄変しています。どうやら希土類使用のガラスらしく、ファインダーを覗いただけでわかるくらい黄色く、カラーフィルムで撮る場合、明らかにカラーバランスが変になります(ちなみに、最終バージョンと思われる緑字紫マルチコーティングのものは黄変しません)。
それでも筆者が怒り狂うことなく、今でもこれを第一線の「使うレンズ」の棚に置いている理由は二つ。
簡単なことです。「どうせモノクロばっかり撮るから」というのと、単純に「パンカラー良く写るから」という、それだけです。コーティング買いしたくせに良い感じの写りまで付いてくるとは、なかなかのもんではありませんか。
この青いコーティングがものすごく逆光に強いとか、そういうことはありませんが、全体的にコントラストが高く、くっきり写るわりに線が細い描写で、日本製のタクマーやフジノンとはまた異なったテイストを感じることがあります。黄変のことを差し引けば発色も鮮やかで、最短撮影距離も35センチまで縮めてあり、万能標準レンズとして重宝しています。
(カラー作例はデジタルカメラのオートホワイトバランスで色を補正しています)
一方、80ミリf1.8です。
さあ来た来たと膝を叩いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
M42世間ではとても有名なレンズで、フレクトゴンとともにツァイス・イェナといえばコレ、というトップクラスの人気を誇っています。
もちろん筆者もずいぶん前から手に入れたいと願っていましたが、何分出会えるチャンス自体少なく(思い返してみれば、実物を目撃できたのは多くて半年に一回ペースだったような気もします)、レア度、スペック、実際の描写性能と三拍子そろっているという評判のおかげで、その価格と言ったらとても手が出るものではなかったのです。
カメラやレンズを買おうという時、考えるのはまず自分の家賃のことですが、家賃より高いものはやっぱり相当恐るべきモノだよネ、という、まさにそのレベルに達しているハイクラスレンズでした(筆者東京23区在住)。
そんなご大層なものを、どうして入手することができたのか。まさか、宝くじにでも当たったのか? とうとう悪いことをしたのか?
いえ、ちょっとしたことで、実は、壊れていた個体を買ったのです。世に言う「難あり品」という奴で、絞りが全く動作せず、前面レンズに汚れがあったため、たまたま手の届くような値段が付いていた……それに飛びついたのです。
もちろんこれは危険な賭けです。時代的に新しいものではないですし、部品や保証が残っていないので、いざ開けてみたら修理不可能だった、なんてことも十分あり得るわけです。おすすめはできません。
筆者も逡巡しましたが、まず個体を確保すること自体困難なレンズということがあるわけで、無事な個体を探し求めてその値段にひるんでいるばかりでは、いつまで経っても手にすることができない! と、自分の運と観察眼を信じて購入に踏み切りました。
結果、何とか賭けには勝つことができました。修理費を込みにしても、通常の手段で入手した場合よりもだいぶ安価でこのレンズを手に入れたことになりました。が、もし負けていたとしたら……開放でしか使えない名レンズとやらを抱えて、しかし名レンズなので捨てることもできず、そのままうじうじ人生を棒に振っていた可能性すらあります。恐ろしいことです。
そんなわけで、我が家にも晴れてパンカラー80ミリがやってきました。
80ミリというのは珍しい気もしますが、絞りを浅くするよう宿命づけられている画角であることに違いはありません。
ポートレートや静物画的な一枚。萩原朔太郎は「静物」という題の詩で、「静物のこころは怒り そのうはべは哀しむ」と詠んでいますが、そういう微妙なことをこそ描き取らんと挑戦するための道具なのです。
がさつな人間なのでほとんどやったことがない試みですが、単に遠くのものが大きく写るというだけではないのだということを、このレンズはすぐに教えてくれました。さすが名玉です。生まれて最初に食べた牛丼が強烈にまずければ、人は苦手な食べ物の欄に「牛丼」と書くようになるわけですが、おかげさまで筆者は中望遠の門戸を幸せのうちに開くことができたようです。
被写界深度が浅い分だけ奥深い世界です。広角スナップではできるだけ絞ってズバっといくのが当たり前ですが、全く逆に、どれだけ絞らない状態で撮れるかということに挑戦していくようになります。f1.8という大口径なだけに、低感度フィルムを使い、フードを装備し、時には露出補正を考えたり、いっちょまえにフィルターワークを妄想してみたりもします。そうして、ピント面の鋭利さはもちろんのこと、アウトフォーカス部にも意味を写し込もうとするのです。
手元のことであたふたしてチャンスを逃しては本末転倒ですが、それも写真、これも写真です。もっとやりたい、うまくなりたいという想いがふつふつと湧いて来ます。
そういう気持ちを受け止め、応え、さらに少しずつヒートアップさせてくれるレンズです。50ミリとともに持ち歩いて、立ち止まってじっくり対象を見て撮るという基本的かつ大事なことを、素直で癖のない描写で支えてくれます。「もっとよく見たいんだ」という、視線の熱意と願いを具現化したようなレンズなのです。
……そんな傑作レンズなら、さぞかし売れただろうと思うのですが、冒頭でもしつこく書いた通り、中古市場では希少な存在です。
もっとも、この取り回しの良さと性能からすれば、みすみす売って小銭に替えようなどとも思わなくなりそうですが、考えてみれば、50ミリとは打って変わって、この80ミリはデザイン的に一種類しか見たことがありません。
黒鏡胴、マルチコーティング、緑文字。コーティングには紫と緑があるようですが、50ミリで共通バージョンのものを探してみると、最後期型がちょうどこのパターンに該当します。
つまり何が言いたいかと言うと、当時のツァイス・イェナは、このレンズをたくさん作りたくても作れないような状況にあったのではないか、ということです。
「腐ってもツァイス」。
パンカラーのことを一言で表そうとしたなら、そういうことになるのではないかと筆者は思います。
戦争に引き裂かれたせいで、ツァイスの本拠は生まれ故郷のイェナではなくなってしまった。そればかりか、同じ名でありながら東西で二つのツァイスが争うようになり、権利云々の主張から訴訟まで起こした。東ドイツの経済はやがて疲弊し、国営コンビナートでは工業製品の品質を保てなくなり、日本製のOEM品に名前だけ貸して売ったりもした。
そうなる寸前、ツァイス・イェナが独自の技術力とプライドを振り絞るようにして生み出した輝きを、このパンカラーというレンズに見ることができると思うのです。
少なくとも筆者の目からすれば、パンカラーは、M42マウントのメイン標準レンズとしてフロントに据えておくべきと確信できるレンズですが、ご存知の通り、主義の違う国で起こった出来事を細部まで分析・理解することはとても難しいことです。
経済疲弊による極端な劣化を経験しなかったことを幸いと取るべきなのか……そう思ってみようとしても、パンカラーというレンズの歴史がすでに終わりを告げてしまったのだという、そのことには寂しさを感じずにはいられません。
いや……おそらくは、それで良かったのでしょう。
パンカラーの消滅は、ある意味で、あの「壁」の消滅ともダブって見えます。まるで壁の破片のようにこのレンズは今も存在し続けますが、それがまだ脈々と生き続けていれば良かったのに、と言い放つことには少しばかり躊躇を感じるようなところもあります。
それでも、その上でなお、目の前の現実をよく見て、しっかりと残す。それが写真というものだろう?
パンカラーの優秀な写りが、そんなことを訴えかけてきているかのように思えてなりません。