
「年を取ると好きな画角がどんどんと狭くなる。君はまだ若いね。」
私の恩師にあたる人が言っていたことを――もう10年前になるでしょうか、今でもまだ覚えています。
ひとつの俗説にすぎないとはいえ、なぜか心に楔を打ったこの言葉は10年間、私のレンズ選びに度々口出しをしてくるのでした。

今回使用したレンズは「Leica Elmarit M28mm F2.8 2nd」です。
28mmのエルマリートは1965年の第一世代を皮切りに、現在に至るまで脈々と世代を繋いできた銘レンズ。小型でありながら、かつよく写り、人間の視野に近い画角を常に良質な写真として形にしてきました。特にこれからご覧いただく第2世代に関しては、もともと第一世代で採用されていたレンズ構成が変更され、レンズ後玉の突出が少なくなったモデル。描写力、と言いますか、描写の種類が大きく異なる印象を持つので、ぜひ第一世代の作例とも見比べてみていただけると幸いです。
カメラは「Leica M10-P」、私の愛機です。
後にも先にもこのカメラのセンサーでしか出せない色があるので替え難い1台。



遠景から近景まで、しっかり写すところは写し、周辺部や手前ボケが柔らかく表現されるのでメリハリのある写真を生み出します。広角でありながら間延びしない画作りなのはこの効果が手助けしてくれているから。
センサーの色の出し方も相まって、JPEGのまま全く手を加えずとも鑑賞できるのがこのカメラのいいところ。本レンズとの相性もたいへん良さそうです。



最短焦点距離が0.7mなので、グッと寄った表現も、テーブルフォトも、ギリギリ手持ちの被写体も撮影することができます。前ボケ、後ボケが強く出るので否が応でも被写体が際立って見えるのはご覧の通り。28mmF2.8、スペックを聞くだけでは想像できないほどの効果が期待できるので、広角だからボケないと切り捨てるのではなく上手く使ってあげることが肝要。



自分が知っている夏、とはこういうものだなと思わせてくれる光景たちの数々。
朝露とも、雨粒とも分からない水滴を着飾った下草、急速に発達する積乱雲。
全て思いのまま、もとい、見たまま。
見たままなのに作品になる感動はこのカメラとこのレンズのセットだからこそ成せる芸当です。
ボディは真鍮の質量感を伴って、レンズはガラスの塊感を伴って、それぞれずっしりと重いはずなのですが足取りはどうも軽やかに。拍子抜けに涼しい今年の夏から得られなかった成分を、体いっぱい、センサーいっぱいに取り込みます。


広い画角を許容する懐の深さと、魅力的なボケを持ちながら取り回しも良く、28mmの決定版としてしまってもいいレンズであると考えています。今回撮影に使用したのは第2世代ですが、もちろんこの後に続く現代的なモデルであれば周辺のビネット(減光)や像の流れは改善するので好みに合わせて世代を選んでいただけるのも面白いポイントです。
いかがでしたでしょうか。
あいにくの天気が続いた今回の撮影でしたが、変わりやすい山の天気はむしろその性質のおかげで、たまに微笑みかけてくれるタイミングがありました。今回掲載できた青空の写真は本当に数十分の間の1シーンがほとんどです。移り変わる夏の終わりの気象に翻弄されつつも、常に随行してくれたカメラ・レンズで美しい思い出の数々を作例としてご紹介することができ、一安心。
冒頭で少し触れた言葉の内容。
焦点距離の好みが、年と共に狭くなる。
なるほど。このブログを書きながらも、幾度となく反芻したこの言葉。
私はついぞ納得のいく根拠を導き出すことは叶いませんでした。
ただ敢えて結論付けるとするならば、私個人の経験上、広角レンズは自身の心がのびやかに、抑圧されず、ある種“若く無邪気な精神”が発露しているときに使い易く、馴染むのだと、だからこそ広い焦点距離が若い好みであると、その人は言ったのではないか、このように想像しました。
普段は50mmのズミクロン、35mmのエルマーを使用している私にとって28mmは本当に久しぶりの体験。撮影に臨む前は無事に画を作ることができるだろうか、と不安すら覚えていましたがシャッター音と共に杞憂に終わります。
それはこの夏が、28mmを楽しむことができる夏であったからに他なりません。



