
【Leica】70年継承されたアイコニック。これからも続く「不変」のM
2026年2月20日にLeica Boutique MapCamera Shinjukuは13周年を迎えました。
1925年、記念すべき「ライカI」の誕生によって写真の世界に革命が起きてから、「101年目」となる今年のテーマは『継承』。
新たな一世紀へと歩み出した今、私たちが改めて見つめ直したいのは、その長い歴史の中で脈々と継承されてきた精神です。
時代が変わり技術が進化しても決して揺らぐことのない『ライカが受け継いだ哲学』とは何か。
本連載では現行モデルそれぞれに宿るその本質を、独自のキーワードとともに紐解いていきます。
1954年、世界にもっとも美しいカメラとして、その姿を示したLeica M3。このカメラは、M型の最初のカメラでありながら、機能性やデザインを含めて、すでに完成の域に至っていたといっても過言ではありません。
この衝撃的なカメラが登場してから70年の歳月がたった今も、M3をはじめ、脈々と継承されてきたM型のフォルムは、すべてのカメラの中で最もアイコニックなデザインの一つと言えるでしょう。
現代のM型のカメラは、トラディショナルな外装とは裏腹に、進歩する科学技術により、最新鋭のテクノロジーをその身に宿してきました。
たとえば、現行世代のM11シリーズは、6000万画素のセンサーや、内蔵ストレージの搭載、高度な画像処理エンジンなど、まさに現代のカメラ技術の粋と、レンジファインダーという古典的な概念の美しい融合させたようなカメラです。
一方で、そのようなデジタルが前提のこの時代の中でなお、Leicaにはフィルムカメラのラインアップが存在します。
本日は、今や多くのメーカーを見渡しても珍しいフィルムカメラとなった、「M-A Typ127」と、「ズマリット M35mm F2.5」を組み合わせ、変わらない魅力とはなにか、ということをを探るべく、東京の下町を舞台にスナップに臨みました。

M-A Typ127は、2014年発売の完全機械式カメラです。MPと多くの設計が共通ですが、露出計を取り去られており、駆動には一切の電源を必要としません。
MP自体が、M3系の外装に起源をもつカメラであるため、デザインの近しいM-Aも、巻き上げクランクや巻き戻しノブなど、随所からそのエッセンスを感じることができます。
フィルムはモノクロか最後まで悩みましたが、私にとって一番消費本数が多く、慣れ親しんだ Kodak UltraMAX 400一本だけを装填する、というあえての縛りを己に課してみます。
許されるのは36回分のシャッターのみ。限られた枚数の中で、どのようなタイミングでシャッターを切るかというのを、常に頭で考えながら歩き始めました。

組み合わせたズマリット M35mm F2.5は、2007年発売の交換レンズで、まだM型においてデジタルの先駆けであったM8にマッチするようなレンズに仕上がっています。
ズミクロンやズミルックスといった、Leicaの代名詞的存在のレンズを使用することも大変楽しいのですが、今回は東京の下町を練り歩くことを念頭に置いたため、可能な限り軽量・コンパクトな構成で臨みました。

平日の昼下がり。池のほとりでは、それぞれの人々が、思い思いの時間を過ごしています。それは、ここで過ごす野鳥たちも同じようです。
今回撮影をスタートした上野は、博物館・美術館・動物園のような文化的な施設のほか、不忍池のような憩いの場と、雑踏の喧騒が両立する面白い土地です。
ここ最近はインバウンドの方も増えましたが、古くから比較的人種の入り乱れも多く、まさに坩堝のような雰囲気を感じさせます。


喧騒に溢れた通りばかりかと思えば、少し歩みを進めれば小洒落た雰囲気の場所もあったりと、眺めているだけでも飽きません。
また、上野は喫茶店発祥の地ということもあり、昭和の雰囲気を残す喫茶店もところどころに点在しており、通るたびにコーヒーの香りにいざなわれそうになります。
一休みしたい気持ちをぐっとこらえ、撮影を続けます。

上野をひとしきり取り終えた後は、御徒町を経由して浅草へ向かうことにしました。
大通りから一歩裏道へ入れば、上野駅周辺の喧騒からは解き放たれ、下町らしい古い雑居ビルが建ち並ぶ光景を目にすることになります。
シャッターを下ろしているところもあれば、営みが続いている場所もあり、静と動が共存しているような、不思議な感覚を覚えます。

浅草に差し掛かると、またどことなく街の雰囲気が変わるのを感じます。調理道具や職人道具を取り扱う店が軒を連ね、上野とはまた違った、古くからある街独特の雰囲気を感じさせます。
ここを訪れれば、飲食店を開業するのに必要なものがすべて揃う、と言われているほど、多種多様な道具に特化した店が立ち並ぶようです。

台東区をさらに東へ進むと、墨田区へ入ります。先ほどまで、ビルの隙間などから遠くに見えていたスカイツリーの姿が、いよいよ大きくなってきました。
古くからの姿をいまだ残す町並みの奥から、のぞき込むような巨大な構造物。ランドマークである一方で、異質さを感じさせる気もします。


隅田川を渡るころには、すでに日が傾き始めていました。
町並みは時代とともに、変わっていくこともあるかもしれませんが、この斜陽が水面に反射するきらめきなどは、本質的には変わっていないのだろうとぼんやり感じました。

川を渡り切り、さらに押上方面に足を進めると、近代的なビルが多くなってきます。古めかしさと無縁の、無機質な造形が入り組みます。
独特なビルのガラスの色が夕陽に照らされ、SFの世界のようにも感じられます。



一通り歩きまわったのち、上野方面へ踵を返しました。
この記事で何をしたためるのか頭で組み立てながら、街道にそって時間も気にせず歩きます。
そうこうしているうちにあたりもだいぶ暗くなっていました。不思議な分岐の道路が多く、いくつかの陸橋の上からその景観を撮影しました。

疲れを忘れひたすら歩いていたのですが、フィルムが残りわずかになったとき、どっと疲労感が押し寄せてきました。ちょうど上野には古くからある喫茶店がたくさんあるので、小休憩をはさみ、帰路についたのでした。
…
Leicaは、なぜ今もなお、このM-Aのように、機械式のフィルムカメラをあえて販売し続けているのでしょうか。
いろいろな解釈があると思いますが、その真髄は、なにより煩わしい電池の消耗を気にせず、己が身一つで撮影に臨めるということにヒントが隠れているのではないか、と考えます。
デジタルカメラでは撮影後すぐに写真の良し悪しを判断できます。水平の傾き、ピントのズレ、露出のアンダーやオーバー。それらを悪と断じるのは簡単ですし、広い写真の常識に照らせば、それも間違ったことではないはずです。
ただ、普段からフィルムでばかり写真を撮っていると、そういった「正しい写真へのノイズ」が、果たしてまったくもって不要なのか?ということをよく考えます。
気が抜けたような写真にも、相応の面白さがあり、泣いても笑ってもフィルムには形として残るわけで、このようなあらゆる結果を受け止めた先にある面白さというのが、フィルム写真にはあると感じます。
Mマウントと呼ばれる交換レンズや同じ形を保ち続けるMというカメラ。その中でもひときわシンプルで、シンプルなプロセスで撮影に臨むことができるM-Aというカメラは、まさに「不変」の象徴とも言えるかもしれません。
その手に、「継承」された確かな眼差しを。
ライカを選ぶということ。それは、長きにわたり磨き上げられてきた哲学を、あなた自身の表現の一部として迎え入れることに他なりません。
Leica Boutique Mapcamera Shinjukuは100年の歴史が凝縮された運命の一台との出会いを、お手伝いさせていただきます。
▼今回ご紹介した商品はこちら▼



