SANKYO KOHKI W-KOMURA 28mmf3.5
こんなのが出てきましたよ、と2号店の2階で声をかけてもらい、コムラーに触ることができました。
クモリありの難ありランクですが、たいしたことはありません。自慢じゃないですが、もっと状態の悪いレンズで撮っていたことだってありますし、撮れる撮れる大丈夫、ってことで、作例させていただくことになりました。
コムラーことKOMURAとは、1980年にこの世から姿を消した「三協光機」というメーカーがリリースしていたレンズ群です。
会社役員二人の苗字を合体させてコムラーと名づけたということですが、だったら、たとえばイノウエなんて苗字の場合、なんていうレンズ名にしたらいいのか悩む……というのはともかく、なんとも昭和レトロ、去りし良き時代という感じがする響きです。「光機」を「KOHKI」なんて書いているのも、いかにもニホンゴくさくて面白いですね。
実際、ものの本によれば、三協光機は1950年末頃にはM42規格のレンズ製造に着手していたらしく、会社があったのも台東区の上野のほうの……と、どうしてもド昭和な町工場的情景が浮かんで仕方がありません。
良心的な価格設定でユーザーに訴えていたメーカーだったということで、お高い望遠レンズ買い足すよりもコレどうですか的な「テレモア」というテレコンバーターが看板商品だったというのも、いかにも納得がいくところです。
個人的な印象としては、今まで100ミリや135ミリなどの望遠域のコムラーばかりを目撃してきたように記憶していますが、やはり広角より望遠の方が製造本数が多かったということなのでしょう。
ペンタックスSPとタクマーにおいてもそうですが、当時は標準レンズの次には望遠レンズを、というような傾向が定着していたようで、この時代のレンズを掘り下げる場合、どうしても標準>望遠>広角というレアリティになってしまいます。
今回のWーKOMURA 28mmf3.5は、ご周知のとおり、広角の中では最もポピュラーな画角のものであると思われますが、廉価な商品であるとはいえ、このほかに24mmf4などもラインナップにあり、中望遠でも100ミリf1.8という大口径があるなど、意欲的に製品開発を行っていたことが伺われます。
ズーム時代に踏み込んでからはコムラノンとかいう名前に変更して製造を続けたようで、社名もコムラーレンズ株式会社と改まっています。f4.5通しのズームマクロコムラノンなんてのも数種類あったようですが、最後まで価格は低めに抑えていたようです。
WーKOMURA 28mmf3.5に話を戻します。
手に取ってみるに、タクマーの28mmf3.5よりもひとまわりほど大きい図体のレンズで、口径も大きく、前面ガラスもみっしり詰まって、いかにも広角レンズである! という面持ちです。たたずまいや雰囲気が、どことなくオートニッコールを参考にしたような感じを受けるのは、著者だけでしょうか。
被写界深度表示の真ん中の指標が、「ここ」というポイントではなく、「ここいら」というような範囲で示されているところも、いかにも広角レンズだなあと感じます。
プリセットレンズらしい枚数の多い絞り羽根は、円形ではなく、複雑な多角形に絞られます。逆光でのゴーストがいかにもな感じです。
・まめちしき 「プリセットレンズ」・
現在ではまるきり滅びてしまいましたが、プリセット方式のレンズとは、絞りリングの他にもうひとつ、プリセットリングというのがあるレンズのことです。
このプリセットリングを使って、あらかじめ「ここまで絞ります」という絞り値を設定しておくことから操作が始まります。実際の絞り値の変更は、その後に絞りリングで行うので、開放でピントを合わせ → 予定の絞り値までためらいなく一気に絞り込み → どうにかして測光し → レリーズ……というような操作順となります。
マニュアルには違いないのですが、自分であらかじめ設定する(プリセット)絞り値を憶えてさえいれば、いちいちレンズに刻まれた値を読まずとも、一定の絞り値まで絞り込んで写真が撮れるというわけです。周囲がたとえ暗黒でも、俺は絶対5.6を貫くぜ、ということであれば、確実に5.6まで絞れます。絞りリングはそこで止まるのです。
シンプルかつ完結した仕組みであるため、たとえフィルムカメラであろうが、マウントアダプタでくっつけたデジタルカメラであろうが、全く操作方法が変わらないというのも、当たり前の話ではありますが、便利な特徴です。実際、半端な開放測光機構がついているせいでアダプタだと絞れないレンズなどもあるのですから、いっそこちらのほうが確実で快適な場合もあります。
WーKOMURA 28mmf3.5も典型的なプリセットレンズなので、マニュアルだと割り切ってしまえば、ストレスなくどんどん撮ることができます。
……と、こんなで終わると、なんだすばらしいレンズじゃないか、などということになりそうですが、大変古いものの上、状態が「難あり」です。
やっぱりというか、さすがにというか、開放付近ではアマアマになってしまいました。周辺部での画像の流れもはっきりとわかるレベルで出ています。
しかし、だからといってこのコムラーに価値が全くないわけではありません。そこが重要なところです。ひたすらシャープに精密に写っていればイコールいい写真であるなどという図式は虚妄そのものであり、窓から投げ捨ててしまえ、というようなものではないでしょうか。
これは、こういうレンズです。
いや、もともとはこういうレンズではなかったのかもしれませんが、50年近く経って、これはこういうレンズとして発酵し、醸成されたのです。面白いことではないですか。
うまく条件が合えば、この世のものならないような印象的な情景を描き出しそうな気配を感じました。雨の日に高感度フィルムを使って、なおかつモノクロの高温現像でちょっと荒らしてみたりしたらいいかもしれない。そんな風に、誘うところがある描写でした。
ひとしきりカメラやレンズの仕組みを理解したら、次に待っているのは、自分だけの写りを手に入れることではないでしょうか。
デジタルカメラが進化し、誰もがいきなり綺麗な写真を撮ることができるようになったせいで、実はそれがますます難しくなっているのでは、と邪推してしまいます。
古びたレンズ、難ありクモリあり、それが何でしょう。
むしろそれゆえに、50年経たコムラーは、今使ってみるだけの価値を帯びてきているのではないか、と思ったのです。