今回のレンズ写真を見て、まあでかいフィルムもあったもんだ、と思われる方はまさかいらっしゃらないはずですが、一応、そう、今回とりあげる「シュナイダー・クロイツナッハ C-クルタゴン 35ミリF2.8」は、とても小さなレンズです。
意外なことに、広角レンズです。しかも、小柄どころが多いF3.5クラスよりも1段明るいという…。
世にはパンケーキレンズというのがありますが、このレンズのたたずまいは、まさに「小さい」という感じ。パトローネレンズとでも形容できそうですが、さすがにPケースには入らないようです。いちレンズの意地としてこんな容器には入ってやんないぜ、というような、まあ可愛らしいサイズです。
シンプルな外装はしっかりした金属製で、本体が小さいせいか、鮮明に書かれたレンズ銘とマークが強い主張を帯びて目に飛び込んできます。
M42マウントの、ただのネジ構造であるという簡潔さが生んだ珍種であることは間違いありません。なんとも興味をそそられます。
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このレンズを生産したシュナイダー・クロイツナッハは、ドイツの名門中の名門。
同時代のドイツの光学メーカーと同じく、社名の後の「クロイツナッハ」とは、社がある街の名称です。
1890年設立という歴史の古さといい、技術力の高さといい、まさに一流と呼ぶにふさわしいメーカーで、一眼レフをちょっとかじっただけのような筆者にはとても畏れ多くてコメントしづらいのですが、ライカ用レンズの殿堂中にも、並み居るスター軍団を押しのけるようにして、しっかりとスーパー・アンギュロンなんかを食い込ませています。
ハッセルブラッドではバリオゴンというなんとも強そうな怪獣的名称ズーム(外観も強そう)を出現させ、はたまたスペースシャトルとともに宇宙へ旅立ってみたり、現在としても、大判カメラ用や専門分野用のプロフェッショナルなレンズ製造でその高度な技術力を誇っています。
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そんな超名門がM42でもレンズを作っていた!
すごいことです。うれしいことです。
ただのネジ構造だけど、ツァイスも使えれば、シュナイダーも使えてしまうのです、このマウントは。
クルタゴンとは、シュナイダーのレトロフォーカス型広角レンズにつけられる名称だということで、画角は35ミリと28ミリ、世代によってそれぞれいくつかのバージョンが存在しています。
それによってコーティングや外観のデザインが変化していくのは同時代のドイツ産レンズと同様ですが、クルタゴンに関しては、見たところどれも驚くようなスペックのものではないようです。
しかし、そうでありながら、いくつものボディ用に供給され、長い間ラインナップとして存在していたらしいというところに、シュナイダーというメーカーの底力と、それに寄せるユーザーの信頼を感じずにはいられません。
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それを踏まえての今回のC-クルタゴンですが…これ、本当にクルタゴンなんでしょうか?
そんな疑問が出てしまうほど、他のクルタゴンとは異なった形状をしています。ご覧の通り、必要最低限のものしか備えていない、というか、生まれたままの姿のようなレンズです。驚くべきことに、シリアルナンバーすらありません。
推測するに、古くても80年代前半くらいのものだと思うのですが、各社技術力合戦の様相を呈していたその時代にあって、一体何がクルタゴンの身に起きたのでしょうか。
もちろん大陸の向こうでは、ソヴィエト連邦が頑ななまでにマニュアル機構オンリーのレンズを生産し続けていましたが、C-クルタゴンの小さな胴部には、これ見よがしなまでにくっきりと「Made in Germany」の文字が踊っています。
この文字列は重い。ドイツという国が、世界で最も「なんとなく」というモノ作りをしそうにない、プライド溢れる国であろうということは、今更言うまでもないことだからです。
とすると、このC-クルタゴンにも、このような、いわば退化形態をとらざるを得なかった何らかの理由が存在して然るべきなのです。なんとも知的好奇心が刺激されることではありませんか。
…と意気込んで調査を開始するも、たちまち行き詰ってしまいました。シュナイダーという有名メーカーのもののわりに、なぜかこのレンズに関する資料はほとんど見当たらないのです。
いや、もしかすると著者の探し方がヘタクソなだけかもしれませんが…幾日経っても手元にあるのはただレンズ現物だけという日々が続きました。
動かねばなりません。このままでは何もわからないままです。
2009年も終わろうとしている冬の日、筆者は奇妙なレンズとその出生の謎を抱え、ともかく撮影と推測とを繰り返すこととなったのでした。
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スクリューマウントのカメラに、小さなレンズをねじ込みます。
あまりの小ささにマウント周辺ががら空きになり、他のどのレンズを装着したのとも違う、独特な雰囲気を感じさせます。自分のカメラが、まるで何か特殊な用途のための機器に変貌したかのようです。
金属製であるせいで、小さいわりにはしっかりとした重量感を感じますが、それでも100グラムもあるかないか、常用しているレンズたちとは比べ物にならないくらい軽いです。
小さくても確かに開放はF2.8の明るさがあります。このスペックは撮る気を誘いますが、そこで例の謎がピョッコリ出てきて邪魔をします。
まず、小さすぎ、簡素すぎて、操作しづらいのです。先端部に絞りリングが配置されていますが、それで終わり。フィルターやフードを取り付けるネジも、余裕幅すらもありません。カブセ型ならとは思いますが、よほど適切なサイズのものを使わない限り、絞りが操作できなくなってしまう恐れがあります。
しかもこの絞りリング、部品的にピントリングの先端部でもあり、要するに鏡胴に固定されていないので、絞りを動かすと、ピントも一緒に動いてしまうというクセモノです。
マニュアル絞りのみなので、先に絞ってしまうとファインダー像が暗くなり、ピント合わせができなくなります。だからして、まず開放にしておいてピントを合わせてからお好みの絞りに…ああっ、ピント動いちゃった! ハイ、最初からまたやりなおし。…みたいなことが多発します。
申し訳ございません。ご面倒でも、一度ファインダーから目を離して、両手の指先を駆使してピントリングを押さえつつ絞りリングをコリコリ回し、という操作をお願い致します。
色々ヘンなレンズを使ってきたつもりですが、こいつはホントに珍妙です。いちいちそんなことをしてる自分すらも珍妙な生物に思えてきます。
唯一救いなのは広角レンズだということで、多めに絞ってしまえば、多少の誤差は被写界深度でカバーできそうなところです。もっとも、本体に被写界深度指標のようなものはないのですが…。
…どうもいけない感じになってきましたが、ここでポジティヴに行くのが、この手のレンズに対する流儀です。
考え方によっては、これ以上丁寧に撮れるレンズというものも存在しない、ということではないでしょうか。
そう考えられるならハナシは簡単、存分にフルマニュアルで撮ることにします。
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そうして出来上がったのが、ご覧の作例です。
F4以上に絞ればそこそこシャープな写りをするのですが、開放の描写は相当アマい感じがします。
前述の操作性の理由から、そのアマい開放で撮ってしまわざるを得ないことも多いのですが、ならば絞っていれば文句ないかというと、特に逆光時、びっくりするぐらい派手なゴーストが出現したりします。中程のF値では、絞り羽が大雑把な星形のようになるため、その形も非常に目立ちます。
最短撮影距離は1メートルと長大です。旧式であるM42マウントであっても、タクマーが40センチ台、フレクトゴンに至っては19センチまで寄れるという35ミリ世間ではありえないようなスペックです。
この点もやはり他のクルタゴンとは異なっています(C-クルタゴン以外は普通に30センチ台まで寄れるようです)が、無理やり好意的に考えるなら、中望遠のような感覚で35ミリを撮るという、個性的な使い心地を味わうことができます、というところです。
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と、こういうような次第で、やれるだけやってみて…いや、やればやるほど、このレンズがなんのために作られたものなのか首を傾げずにはいられなくなってきます。
操作性を犠牲にしてまで小型化を志したレンズなのでしょうか? コンパクト・クルタゴンでC-クルタゴン? まあ、「コンパクト」はドイツ語表記だと「kompakt」であるので、もしそうだとすれば、それこそ、この特異な小ささをウリに輸出品として(英語圏諸国で)流通していたとか、そういうことなのでしょうか。
はっきり言って疑問です。それがシュナイダーというメーカーのしそうなこととは思えないからです。
ならば逆に、シュナイダー社の専門性を考えてみたらどうでしょう。大判や特殊な機器の製造もしているという点。
そうです、それです。こいつ、本当は一眼レフカメラ用のレンズじゃないのでは??
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では、何なのですか。
…しばしの沈黙を挟んでから推測するに、何かのパーツとしての役割が思い浮かびます。
一体でも戦えるロボットが、いざという時に巨大合体ロボの頭や腕になるのと同じようなものです。
事実、数多あるM42レンズの中には、途中から分解して違うマウントパーツに合体できたり(エナのリサゴンなんかです)、レンズヘッドとマクロチューブに分離できてしまったり(シャハトのマクロトラヴェナーなどです)、そういった特技を持つものが存在します。
C-クルタゴンも、もしかするとこの一種なのではないでしょうか。
他の機器と合体することを考えるなら、単独の機能としては最小限で良く、装飾性や中途半端な多機能性はかえって邪魔になります。パーツとしての立場に徹するには、それこそ身を削る覚悟みたいなものが必要となるのではないでしょうか。
今のところ、これが一番腑に落ちる仮説です。
その上で激白すると、筆者は、これとそっくりな引き伸ばしレンズをどこだかのジャンク棚の片隅に目撃したことがあります。
その時にはこのC-クルタゴンのことも知っていたため、しめしめ面白いのが転がっていますねと出してもらったのですが、別物。マウントはライカLと同じ39径、一眼レフにマウントできたとしてもピントは合わない、とのことでした。
つまり、部品を流用して引き伸ばしレンズとM42用のレンズを作ったか、あるいは、そんなことができるのかわかりませんが、引き延ばし機と一眼レフとのコンパチブルをウリにしようとしたのか…。
しかし、これも憶測に過ぎません。前にも書いたように、シュナイダー社がしそうなこととは断言できないからです。
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ただの石ころだと思っていたものが、ある時見方を変えたことですごい財宝だとわかるというような…例えば、そんな衝撃が走るような真の意味というものを、C-クルタゴンは隠し持っているのかもしれません。
M42マウントが繁栄していた時代とは、まさにレンズたちの進化のカンブリアン・エクスプロージョンみたいな時代であり、また同時に、失われた時代、暗黒時代とも呼べると思います。
この手のレンズたちは、ミステリーを抱えたまま、単純無比なスクリューマウントゆえに死なず、今に至るまで沈黙して生き続けているのです。
我々は、これらを道具として活用しながらも、どうにかして正体を突き止められないものかと頭をひねることになります。
写りや使い勝手では、後続の新製品たち…誤解しようにもできないようなモノたち…に見劣りするかもしれません。
しかし、努力いかんによっては、写り以上の楽しみをも与えてくれる(かもしれない)。そんな濃い魅力が、C-クルタゴンをはじめとするミステリアスなM42マウントレンズには、確かにあると思うのです。
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etc. | 掲載日時:10年01月31日 21時34分 ]