個人的嗜好により、ズームレンズをほとんど使わない生活が続いています。
普通の人が一生のうちに手に入れるであろうレンズ本数……の何倍ものソレをすでに所持していますが、ズームレンズに関しては、デジカメのキットレンズという位置づけの平凡なものがポツネンと一本あるのみです。
……というような冒頭では、一見どう膨らみようもなさそうですが、今回は、そんな不届きな筆者がズームレンズの記事をお届け致したいと思います。もちろんM42スクリューマウントで。
こんな自分が、例えば18-200ミリなんていう高倍率ズームを手に取る展開が果たしてこの先起こりうるのであろうか!? と、そんなことも考えてしまいますが、デジタル全盛であると同時に、世はズームレンズ全盛。見渡してみれば、様々な用途に応じた、まさに痒いところに手が届く伸縮自在の孫の手みたいなレンズが選び放題です。
M42というマウントが一眼レフの天地開闢時から存在し、その後の発展の道筋をつける重要な役割を果たしたこと、様々な新型レンズのプロトタイプみたいなものが続々投下されていた実験場のようなジャンルであること……その一角をこれまで何回かを使わせていただいてご紹介しようと試みてきたわけなのですが、ズームレンズに関しても、ここに託して語ることができると思います。
すなわち、原初の……とまでは言えないながらも、まだ完全に成熟しきっていない時代のそれが、M42というジャンル内で存在していたということです。ある意味ではズームレンズも、M42で試され、研がれ、巣立って行った。そういう時代があったのです。
今回ご紹介するレンズ、「サンズーム 38−90ミリ f3.5マクロ」は、そう古いものではないはずなので、厳密には黎明のズームレンズというテーマにはそぐわないサンプルかもしれません。これが世界初のズームレンズというわけではないですし、また、最後のM42マウント用ズームレンズというわけでもありません。レンズメーカーが量産した、発売当時から割安感のある製品であり、本数的にもありふれ、現在でも中古の現場では類するものがごろごろ転がっているのではないかと思われるようなものです。
しかし、そういうレンズを実際に撮影に使ってみると、2010年の現在、予想するよりも遥かに多く知ることがあります。珍品だ名品だともてはやされるモノよりも、ある意味では得るものが多いとさえ言えるかもしれません。
ズームレンズというものがいかな苦難の道のりを歩み、それを踏破し、現在の優秀な性能に至ったのか……この無骨で未熟なズームレンズが語りかけてくるかのようです。
「サンズーム」は、サン光機株式会社という、今は亡きレンズメーカーが製造していた製品群です。70年代から80年代前半に勢いがあったメーカーで、おなじみのタムロン、トキナー、シグマや、前々回にご紹介したコムラーなどと並んで、精力的に製品を世に出していたようです。
ラインナップとして目立つのはやはりズームで、単焦点よりも種類数が多く、ズームを看板に掲げて売り出していたことが明らかです。
とは言え、当時としてはやはり2倍から3倍程度の倍率が精一杯であったようで、オールレンジをカバーするためには、どうしても、広角ズーム、標準ズーム、望遠ズームと種々展開せざるをえない時代でした。もしかすると、光学的な性能限界に阻まれ、「18-200ミリをカバーするズーム」なんていう発想自体存在しえなかったのかもしれません。
それがもしあったとしたら。
時代劇中でうっかり八兵衛がうっかり携帯電話を取り出してしまうようなもので(注:そういうシーンは多分ありません)、革新というか革命というか、何かこう、ビッグバン的なことが起こり得たかもしれません。
現実的な発想をすると、うっかり携帯電話を当時の材料と技術で作ったから本体が箱根寄木細工でできてる、というようなもので(注:やはりそういうシーンは存在しません)、18-200ミリのズームなんてものを当時作ろうとしたとすると、それはもう想像するのもおぞましいような怪物レンズと化した可能性があります。
対戦車砲のようなボディ、特大水晶玉みたいな前玉。それでも開放値は暗黒のごとく暗い。伝説的な畏怖の対象とはなったとしても、写真文化の発展に貢献できたかどうかは……まあ、わからないとしておきましょう。そこからすると、なぜ現在あるズームレンズがああいうフォルムをしているのかも納得がいくというものです。
「サンズーム 38-90mm F3.5 マクロ」は、まだその色々な発想転換ができなかったがために、一度どん詰まりまで行ってしまわねばならなかった時代のレンズ、とも言えるのではないでしょうか。
まず、その全金属製のボディが象徴的です。
この個体としては少々クモリがある難ありですが、それにしても破格値で、原材料費だけでもそれを軽く超えるのではないかと思ってしまいます。評価額が低いということもしかり、すごいボリュームの金属とガラスを惜しみなく使っているということもしかりです。このため重量は650グラム強と重量級で、カメラにつけて半日歩いただけで、かなりの疲労感を及ぼします。
これで3倍未満のズームなので、90ミリからもっと先が欲しいんだけど、ということになると、別途「サンズーム 85−300ミリ f5マクロ」を入手して880グラム増し、「サンズーム 80−240ミリ f4マクロ」をチョイスということになると1180グラム増しで、もうどこへもお出かけできそうにありません。結局は軽量な単焦点を加えることになってしまいそうです。
構成は11群12枚ということらしく、名前にもある通りマクロ機能があり、ズーム、ピント、絞りの他に、ストッパースイッチ付きのマクロリングが存在し、3段ヘリコイドという、実に複雑な構造を呈しています。
通常の最短撮影距離は1.5メートル止まりですが、このマクロ機能を使うことで最大で1:4のマクロとなり、38ミリの画角でおおよそ30センチほどまで近接撮影することができます。
そういう意味ではオールマイティな一本と言えなくもないですが、果たしてそこで邪魔をしてくるのが、マウント部の開放測光機構です。絞りリングの外側に、どことなく粗野な印象を与えるパーツが付属していて、絞り値を伝達するためにガシャガシャ音を立てて連動レバーが動きます。この機構がマウント部につっかえてしまうため、ペンタックスのKマウント機にアダプタで使おうとすると、絞りリングが動かなくなってしまいます。
取って付けたようなパーツですが、実際、この時代のレンズメーカーのレンズには、マウント部だけすげ替え加工にしたり、個人でもマウントを取り替えて使えるような方式とすることで各社のマウントに対応したものが多く、サンズームのマウントも明らかにこの一種です。
この開放測光機構がどのボディに連動するものなのか……M42で開放測光というと、ペンタックスではSPFということになると思いますが、1975年には大々的にKマウントへの移行がはかられていたことを考えると、ちょっとよくわからないところがあります。
幸いにして単なるネジマウントですので、マニュアル絞りに切り替えるスイッチが無い(ペンタックスSP、フォクトレンダーのベッサフレックスなどの絞り込み測光機以外だと、絞りが開放のままになってしまう)ことに気をつければ、絞りが動かなかろうが指標が横を向こうが、写真は撮れます。
こうして現に21世紀でも使おうと試みる人間がいることを考えてみれば、当時はまだ生粋のスクリューマウント使いも多く生き残っていたのかもしれず、その需要を見込んだレンズだったのかもしれません。
で、撮ってみてちょっと驚きました。
古い単焦点レンズはこれまでも色々使ってみましたが、特に標準レンズなどは、どれもそこそこよく写り、はるか昔にある程度の完成を見ていたのではないかと思っていたほどですが……このレンズの写りには、苦悩が垣間見えます。
ボケの味をどうこう言えるほどの目を持ってはいませんが、この像の乱れにはさすがに目を奪われました。ありとあらゆる収差が渦を巻き、うなりをあげて写真に襲いかかっているような恐ろしさがあります。アウトフォーカス部では、乱れるあまり現実味がどこかへすっ飛び、色や背景物によっては、何か嘘くさい一枚絵の前で写真を撮ったような雰囲気になっているような気さえします。
f5.6以上に絞り込めばそこそこ使える画質に落ち着いてきますが、今度はこの巨体が問題となってきます。特に日没間近になってくると……取り替えたい、単焦点レンズに取り替えたい! という欲求までも、手ぶれと同時に押さえつけねばならなくなってきます。
幸い……と言っていいのかどうか、こういう異世界のような描写の乱れや、逆光で出るわざとらしいくらいのハロ? などを特徴としてとらえられないか、一種のSFXを楽しむレンズとして一家に一本こういうのがあっても良いのではないか、というような寛容な? 感想もある今日このごろです。時代は変わったと言わざるを得ません。
そこに一筋の光明を見つつ……しかしズームレンズとは悲しきかな、あくまで合理性や利便性の塊であると筆者は思うのです。
ズームよ、あくまで合理的であれ。便利であれ。
その信念を貫かんとするがため、現代のズームレンズの多くが外装に軽量なプラスチックを選択し、収差を封じるためにさまざまな特殊ガラスを使用し、手ぶれ補正機能と連携し……ああ、しかし、サンズームには、このどれもが足りていません。どれも、何も、採用されてはいないのです。
今ある優れたズームレンズと並べて、つまりは「ズームレンズ」として、価値を見いだすことはきわめて難しいと言わずにはいられません。
……と、ここまで書いて、あることに気づきました。
それと同じような事実は、このレンズが発表された時代、すでにわかっていたはずなのです。
これまでこのブログでもご紹介してきたように、この時代にはすでに、魅力的で優秀な単焦点レンズが他にいくらでもあり、どれを選ぶもユーザーの自由だったのですから。
それでもあえて難しいズームレンズを開発しつづけ、販売するということ。ズームの魅力を説き、ズームでなければならないのだと訴えること。
サン光機はそれに挑み続けたメーカーでしたが、ついに1980年代の終盤、その歴史にピリオドを打たざるを得なくなりました。ズームレンズの克服すべき課題を抱えたまま、しかし、それを実現するまで経営が続かなかった……ということなのかもしれません。
後期にはブランド名が「ゴトー・サン」と変更されていたことを見てもわかる通り、他の光学メーカーに吸収されたか合併されたかしたようで、「ゴトー」とは天体観測機器やプラネタリウムで現在も第一線にある「五藤光学」のことではないかとも思われますが、今、社のウェブサイトにそれに関する記述は見られません。
結果としてサンのズームは中古ではとても安価で扱われることになってしまい、次第に忘れ去られた存在となってしまいました。
けれど、その頃生まれた遺伝子は、多くの経験と反省からもたらされた進化を身にまとって、今も製品の中で受け継がれているのではないかと思えてなりません。
このサンズームが重くて無骨で、まだまだ課題を残す性能だったからこそ、現代のすばらしいズームレンズがやがて生まれてきたのだ……とは、さすがに少々言い過ぎかもしれませんが。