写真家:萩庭 桂太 『日常 x ライカ』
2021年02月10日
僕にとってのカメラは、相棒 チームメイト サバイバルツール お守り みたいな存在です。
ファインダーを通して世の中を見ていて、僕の気分や視点を写しているのだけど、それと同時にカメラ君は僕の出来ないことをして、それを補ってくれている。
僕が見ただけでは記憶の外に消えていってしまうことを、記録して写真として保管してくれる。
集中して見ているその傍にあるささいな物事も彼らは鮮明に保管してくれるのがありがたい。
僕は仕事以外でも、いつもほとんどの時間カメラを持ち歩く。
この「持ち歩く」には語弊がある。身軽に手ぶらで出かけようとしたときに、カメラの棚から声が聞こえてくる。
「オイお前、俺を連れて行かなくて大丈夫か?後悔するぞ!」である。
確かに連れて行かなかった時に思いがけない風景や人や感情に出会うことがあり、「あ〜。カメラを持ってくるべきだったな〜。」と幾度か後悔した経験がある。
それは目に見えるものだけではなく、その時その時の過ぎ去っていく時間を保存し損ねたことの後悔。
あの時が最後だったという仲間の笑顔もあったりした。だからそのカメラの脅しに負けてお連れすることになる。
不思議なことにカメラ君はボディごとにいるわけではなくて、一人のカメラ君がその状況に応じて、最適なボディに乗り換えているようで、それを構える時の一台に常に彼がいるように感じる。
ときどき自分の目の高さに構えるほんの短い時間が惜しくて、そのままノーファインダーで撮ることがある。そんな時もカメラ君は さすが と思えるアングルでその瞬間を見事に保管してくれる。
他にも、こんな瞬間は人間の目では捕らえきれない時間も、きっちり写しとめて写真にしてくれる。
それは人間だけの能力では記録することが不可能なものを、写真にしてあとでじっくりと見て記憶に残す手伝いをしてくれている。
そんな時に「やっぱり君はすごいなぁ〜」と感心する。
最近は彼の乗り込むカメラボディはLeica Q2が多いようだ。
たぶんレインコートを着ているので雨風や、ブリティッシュパブのカウンターで万が一でもビールを掛けられても平気だからだろう。
そんなカメラだから僕にとって日常のお守りとして一緒に過ごすことは当たり前になっている。
だからといって別に常に撮影しなければならない訳ではない。
きっと彼は一人では何も経験できないから、むしろ脅してでもいろいろな時間や物事を眺めに行きたいのだと思う。
僕にしてみれば何でもない道や空や影かも知れないけど、カメラ君にとっては興味深い物ばかりなのだろう。
「もっとしっかり見せろよ!」とカメラを構えると声が聞こえてくるような気がする。
だから、いつものお礼もあって彼のリクエストに応えて一緒に過ごすことになる。
彼と気が合う時は呼吸するように何のストレスもなく撮影できる。きっと僕の視線と伝えたい気持ちが、彼は確実に理解し伝わっているからだろう。
そんな時は彼の存在すら気にならず同化している錯覚さえ感じる。
日々の記憶の目次を作るのに彼に手伝ってもらうことは僕にとっても心地よいのです。
ここ何年も「日常xライカ」というより「日常=ライカ」な気がする。