【極私的カメラうんちく】第38回:シフトレンズの先に見える未来
シフトレンズという一眼レフ用の交換レンズをご存知だろうか。
シフトレンズは、主に建築写真や商品撮影などに利用される一眼レフ用の特殊レンズである。そのため実際にシフトレンズを必要とする場面には、一般的な撮影をしている範囲ではまずお眼にかかれない。
シフトレンズの構造は通常のレンズとは大きく異なり、レンズ鏡筒が前部と後部に別れている。そして後部はカメラボディ固定されたまま、前部がピント合わせのための垂直移動はもちろん、なんと水平方向にも移動する構造を持っている。さらに水平方向への移動に加えて前部分が途中から折れ曲がる構造を持っているシフトレンズもある。
※詳しいシフトレンズ情報はこちら→http://news.mapcamera.com/sittoku.php?itemid=3550
シフトレンズが特殊な構造を持っている理由は、通常のレンズでは撮像素子やフィルムに対して精密に「中心」と「垂直」が保たれている光軸を、あえて光軸の中心を大きく外して撮影したり、光軸を大きく傾けて撮影したりすることを目的に作られているためである。ちなみに一般の広角レンズで下から建造物を撮影すると、建物の上部は小さくすぼまってしまう。しかしシフトレンズなら光軸を中心から外すことによって、下から見上げた建造物などが上すぼまりにならずに撮影できるのである(シフト機能)。試しに普通の広角レンズで建造物を上すぼまりにならないように撮影しようとすると、カメラのアングルは水平に近くなり建造物の上部は画面から外れてしまい、その分画面内の下側に余分なものがたくさん写ってしまう事が判る。そこで、シフトレンズは一般レンズと同様にカメラのアングルを水平近くに固定したままで、その特殊な構造を利用して光軸のみを中心から移動させることにより、本来の被写体である建物を画面の中心に引き寄せて撮影することが出来るのである。
一方、光軸を傾ける機能は被写界深度のコントロールに用いられることが多い。正確にはピント面の角度のコントロールが可能になるという言い方になるだろうか。ピントが最も合っている部分を「平面」として考える場合、通常のレンズでこの面は光軸に対して常に垂直である。しかしシフトレンズでは光軸を傾けてピントの合った面を適切にコントロールすることにより、見かけ上の被写界深度を深くすることが出来るのである(ティルト(またはアオリ)機能)。しかし最近はこの機能を逆に作用させて(逆アオリ)見かけ上の被写界深度を極端に浅くし、何の変哲も無い風景写真をまるでミニチュアのジオラマ写真のように見せる写真技法がよく見受けられる。
実はこれらシフトレンズの特殊機能は、レンズとフィルムホルダーを蛇腹で繋いだ大判のフィルムカメラでは当たり前の機能である。特にアオリなどの技法は、もともと大判カメラの極端に浅い被写界深度を少しでもカバーするために用いられてきたものである。言い換えれば、シフトレンズの持つ機能とは、一般の一眼レフ用の交換レンズが小型化と同時に、フレキシブルな蛇腹から金属製の固定鏡筒となったときに失ったものと言うことも出来る。
これまで見てきたように、シフトレンズは一般の一眼レフ用の交換レンズと比べて非常に特殊な構造と用途のため、オートフォーカスレンズはこれまで作られたことが無い。それどころか自動絞り機構(シャッターを切った瞬間だけ絞り羽根が動作する機能)すら持たない「プリセット方式」が殆どである。シフトレンズに自動絞りを搭載できない理由は、シフトレンズをラインナップしてきたメーカーが、ボディ側からレンズの絞りを機械的に駆動するしくみを採用していたことに理由がある。前述したようにシフトレンズの鏡筒は2分割あるいは3分割で複雑に可動する構造になっているため、前部分に組み込まれている絞りをマウント側からコントロールするための貫通レバーを、レンズ鏡筒内に組み込めないのである。
しかし、EOS用にラインナップされているシフトレンズTS-Eレンズは例外である。TS-Eレンズの絞りは電磁駆動方式を採用しているため、ティルト機構までを内蔵するシフトレンズでありながら完全自動絞りを実現している。これは全てのレンズに電磁絞り機構を搭載したEOS用レンズならではのアドバンテージといえる。
これらの理由から、これまでEOS用以外のシフトレンズは全て「プリセット方式」だったが、今年2月下旬にニコンから発売予定のPC-E NIKKOR 24mm F3.5D EDは、シフトレンズとしてはTS-Eレンズ以来始めて電磁駆動機構を搭載し、D300とD3に限っては自動絞りが動作する設計となっている。
ちなみにPCニッコールのPCは「パースペクティブ・コントロール」、TS-EのTSは「ティルト・シフト」を現している。
以前、当コラム「デジタル一眼レフの空白時間」でも述べたように、機械連動方式の絞り機構を持つマウントはまだ数多く、それらは着実に電子化が進んできたカメラボディとレンズ間のインターフェースにおいて最後に残された課題である。電気的な連動が出来ない機械式絞りは、一眼レフシステムの制御に空白の時間を生んでいるのだ。しかし機械連動式絞りの電磁駆動化は、いきなり行うと極端な使用制限を生み、ユーザーへの負担が大きいことから、使用制限を最小限にしながら変更を行うためには、絞り情報やAF駆動方式の変更と同様、長期間にわたる二重投資や非常な困難がつきまとう。
今回ニコンがボディ側に使用制限を設けてもシフトレンズに電磁駆動機構を組み込んだ理由は、自動絞りを内蔵したシフトレンズが利便性において圧倒的に有利なためであることは明白である。しかしこれまで50年近く機械連動方式の絞りを踏襲してきたニコンFマウントが電磁駆動機構を採用した意義は非常に大きい。理由はどうあれD300とD3には絞りの機械連動式と電磁駆動方式の両方式が組み込まれた訳であり、これが今後の電磁駆動方式へ向けたインフラの端緒ともなり得る可能性が多分に含まれているからである。
ニッコールレンズの次のイノベーションは、案外シフトレンズから始まるのかも知れない。