【マップカメラコレクション】ТАИР(タイール)−11А 135mmF2.8
今回のレンズの姿形を見て、すぐに正しいスペックを言い当てられた方は、まずかなりの社会主義的写真機眼を持っている方だと思われます。
ツァイスのオリンピア・ゾナーほどではないにせよ、大きなレンズです。いや、これで135ミリ/F2.8というスペックなので、「大げさなレンズ」と言い換えた方がいいでしょうか。今日日の基準で言えば、「200ミリだよ」と吹いても誰も疑問に思わないんではないでしょうか。 この大げさで無骨なたたずまいが、全てを物語っています。 このレンズ、ТАИР(タイール)−11Аが製造されたのは、ロシアはクラスノゴルスク機械工場(Красногорский Механический Завод)。いや、製造年代を考慮に入れるなら、ソビエト連邦という名詞を用いた方がよりしっくり来ます。 いかにもロシア。いかにもソビエト。 ……というのはもちろん多大なる誤解を含んでいて、例えば昔の外国の漫画に日本人はかならずメガネとカメラと出っ歯というヴィジュアルで描かれていますが、まずそれと同じ類です。ロシア国民だからと言って、かならず皆が皆、こんな無骨なレンズばかりをゼニット(ロシア産M42マウントカメラ。クラスノゴルスクでは現在もM42カメラの生産が続いている)にマウントして、ウォッカの瓶とともに持ち歩いているというわけではないでしょうが……。 昨今ではロシア産のトイカメラが大ブームになりましたが、ご当地では日本産のデジカメの方が人気であり、どうして日本人がそんなお気楽脱力カメラを求めたがるのかわからない、理解に苦しむ、というような事が言われているようです。 まあ、「異国情緒」と、おおらかに言ってしまえば、たいていのことが片付くのではないでしょうか。かつて西欧の画家たちが浮世絵に惹かれたように、タイールを手に取ってウォッカとボルシチの地に思いを馳せる……安易ですが、夢があります。 しかし、これはレンズです。夢を見るためだけじゃなく、写真を撮るための道具であるので、実際にカメラにつけて街へスナップへと出ます。そうせねば意味のないものです。 ……まず、最寄駅にたどり着くまでに後悔します。重いです。何でこんなに重いのか。そう思って重量を計ったことがありますが、600グラムもあります。つまり、身軽にスナップがしたいがためにあえて軽量なカメラを選び、その台数自体も減らしているというのに、(タイールをマウントしているという、そのせいだけで)装備の重さでは二台以上携行しているのと同じになっているのです。レンズという精密な道具だというのを忘れて、こいつ、中身の詰まった全金属製マトリョーシカなんじゃないかとか思えてきます(ちなみに、タイールの別種には、重量3キロを超す「タイール3S 300ミリF4.5」という、もっとすごいのも存在します。ほとんどある種の対空砲のような外観です)。 フロントヘビーのために、吊ったカメラは必ず下を向きます。おまけに絞りリングなんかはギザギザしていて、傍らを走りぬけようとする小さな子供が衝突して大怪我をしたらどうしようと本気で心配したことがあります。 しかし、構えてみると不思議とバランスはいいです。望遠レンズであるのも手伝って、遠くにピントをあわせていると腕利きの殺し屋のような気分になってきますが、周囲を通る方々からの視線もなかなかに涼しく感じます。が、絞り制御はプリセット。あくまでもゆっくり微妙に絞り込んで一枚をものにする感じの撮影方法になります。 写りはといえば、コントラストがあまり高くなく、あっさりした印象です。柔らかみがあり、地味といえば地味。そんな感じがします。組み込み式のフードが搭載されていますが、これがまた役に立っている気配がなく、逆光にも弱いです。ロシアの地ではさほど強い日射がないのだなあ、と、また思いを馳せてしまいます。 そんな、欠点?をいくつも抱えているようなレンズではありますが、どうしても嫌いになれません。この三分の一ほどの重量で、もっとパッとした写りをするレンズは他にいくらでもあるということはよくわかっているのですが、何ともいえない唯一性、言い換えれば愛嬌のようなものを感じてしまうのです。 |
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プリセット絞りと書きましたが、このレンズの絞り羽根はちょっとすごいです。19枚もあり、モノコートを施された大口径の中でそれらがくるくると真円形に絞られて行くさまはなかなかの見物です。もちろん、それゆえのボケ味の自然さはこのレンズの長所と言えます。
こうした羽根枚数の多い絞りは、古い時代のドイツのレンズなどによく見られますが……それもそのはず、ロシアのカメラ・レンズ製造技術というものは、大きな部分を、第二次大戦時にドイツから持ち去ったものに負っているのだそうです。 荒い言葉で言えば、戦利品としてドイツから奪った技術や工作機械で作ったコピー品であるということ。コンタックス銘のレンジファインダーがキエフという名で製造されていたり、カールツァイスのゾナーをもとにジュピターが、テッサーをもとにインダスターが、ビオターをもとにヘリオスというレンズが作られたりしました。タイールの原型は聞いたことがありませんが、これもゾナーかもしれません。 |
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しかし、問題はその後です。ドイツが一眼レフ時代に突入し、M42があり、開放測光があり、AE化があり、やがて日本製の安くて画期的なカメラやレンズに押されて衰退し……という時代の推移があった間も、ソビエトという国は、その昔勝ち得た技術をひたすら暖めながら、ずーっとその延長線上にあるカメラやレンズを製造し続けていたのでした……。 なんとも気の長い話です。このタイールにせよ、おそらく70年代後半か80年代のレンズだと思われますが、ドイツのそれと比べると、中身はまるきり5、60年代のレンズのままのように思えます。その辺りが、何とも……シベリアに取り残されて進化を見送ってしまった奇妙な鳥か何かを見ているようで憎めないのかもしれません。 鳥。そうでした。ТАИР、タイールとは、アラビア語で「鳥」という意味だそうです。これほど「鳥」という名に似つかわしくないレンズに、なぜそんな名がついているのか。やはりダチョウのように巨大な飛べない鳥なのか。飛べないから大きくなったのか。大きいあまりに飛べなくなったのか。 飛べないかもしれないですが、羽根の立派さでは、他の誰にも引けをとらない鳥です。 |
ТАИР(タイール)−11А 135mmF2.8 ※クリックで拡大します |
ТАИР(タイール)−11А 135mmF2.8 ※クリックで拡大します |