これは筆者が様々な不具合を抱えたM3と共に歩んでいくお話です。
Kodak Proimage100,Leica M3,Leica Summicron M50 F2 1st
山間の村落が好きです。なにもこんなに山に寄せなくとも、と思ってしまいますがなんとここから十数歩行けば海岸線が目の前にあります。背水の陣であり背山の陣でもあり、年季の入った木造の家々が急に強そうに見えてきます。
今回はズミクロン伝説始まりの1本、通称「沈ズミ」ことLeica Summicron M50 F2 1st沈胴と共に。
当時としてはズバ抜けた性能は現代でも十分通用すると同時に、年代故か独特な優しさを持つ描写は人の心をつかんで離しません。
Kodak Proimage100,Leica M3,Leica Summicron M50 F2 1st
大学時代の知人の家に泊まりに来ました。「別荘」という単語はおよそフィクションでしかないと思っていたのですが、四半世紀生きてきて初めて現実に存在する別荘へ来ました。
手入れが行き届いた庭園というのはもうそれだけで芸術のようなものだとしみじみ思います。
個人の趣味趣向を凝らし、こだわりを煮詰めたような庭園を見ていると自然にシャッターを切ってしまっている自分がいます。
Kodak Proimage100,Leica M3,Leica Summicron M50 F2 1st
原風景という言葉をご存知でしょうか。心の原初の風景を指す言葉です。
たとえ行ったことがなくともその風景は皆同じようで、「原風景」で検索をかけると青々とした田んぼの写真や絵が出てきます。
そんな私の原風景は夕暮れ時の水田。灌漑沿いをふらりふらりと歩きつつ感慨にふけります。ふふふ。
控えめなハレーションは西日の強さを物語ります。水面に写る太陽が空に浮かんでいるものより少しだけ優しく見えるのは何故なのでしょうか。
Kodak Proimage100,Leica M3,Leica Summicron M50 F2 1st
野焼き用の窯でしょうか。
近年では野焼き規制も厳しくなっているようで、もう秋の終わりに細々とやっているのを見かける程度です。
窯の部分だけを見ると一瞬デジタルかと見間違うほど美しいのですが、背景のザラつきがフィルムであることを思い出させてくれます。
Kodak Proimage100,Leica M3,Leica Summicron M50 F2 1st
フィルムの使い方は様々あると思います。計算しながら一回の撮影で一本ぴったり使い切る人もあれば、のんびり気の赴くまま撮影し、使い切ったら新しいフィルムに変える人もいます。
筆者はどちらかと言うと前者で、およその目星をつけながら一度の撮影で使い切るようにしています。
ネガの整理が楽だからというのもありますが、なにより早く撮影結果が見たいからというのが一番です。
フィルムは現像上がりまでの待つ時間も楽しい反面、一秒でも早くどう写っているのか見たいという気持ちもあります。
これは帰りがけにまだまだフィルムが余っていると急いで消費した時の一枚。
「フィルム文化を衰退させぬ為、湯水のようにフィルムを使わねばならぬのだ」と自分に言い聞かせ、普段なら撮らない物を撮ってみたり。
葉の立体感や夕日に透けた質感がしっかりと写っています。
Kodak Proimage100,Leica M3,Leica Summicron M50 F2 1st
同じく急いで撮った一枚。少しでも絞りを開けて撮影したいが為にISO100のフィルムを好んで使っていますが、日中はよくても日が傾きだすと急に残りの枚数が気になってしまいます。
かれこれ数年住んでいる下宿ですがじっくりと自宅から夕陽を見たのは初めてかもしれません。
「カメラを持つと視野が広がる」とよく言いますが、目に映るものに注意深くもなるようです。
今回は気まぐれに沈胴ズミクロンを持ち出しましたが、やはりいつどんな時でも確実に良い写真を出してくれる間違いの無い一本であり、伝説になるに相応しいと再認識しました。