【Canon】 すべてのメーカーを渡り歩いて、最終的にCanon一筋になった私が思う事。
※本記事の写真は、EOS R6 MarkIIとRF28-70mm F2L USM、RF24-105mm F2.8 L IS USM Z、RF100mm F2.8 L MACRO IS USMで撮影しています。
14年前にRICOHのコンデジから始まった私のカメラライフは、
理由は簡単。
当時頭一つとびぬけたAF性能を誇っていたからでした。
純然たる性能“だけ”で選んだカメラでしたが、それは後々生き方そのものも左右するほど大きな存在になっていきます。
休日のたびに撮影に出かけ、その結果に一喜一憂していたあの頃。
撮れば撮るほど、ワクワクは増えていきました。
今日は海へ、明日は山へ。
桜を、向日葵を、紅葉を、雪を追いかけて、どこまでも歩いていく。
休みと言えば家でゲームだけだった、昨日と明日の見分けがつかない、繰り返しの毎日はもうどこにもありませんでした。
梅雨の晴れ間に誘われ、天文台の森に赴いた時のこと。
大正時代の官舎を利用した建物に、星や宇宙を題材とした絵本がずらりと展示されていました。
沢山の作品がある中で一番気に入ったのは、翼を怪我した渡り鳥を仲間の元へと送り届ける灯台守のお話。
子供のころ大好きだった絵本を思い出し、時間を忘れ夢中になって読んでいると、隣のドアから出てきた海外の方に、「ありがとう」と声をかけられました。突然のことに驚いていると、何と作者の方とのこと!
久しぶりに出会った素敵な世界への感謝を伝えたくて、拙い英語で何とか話した気持ちは、ちゃんと届いたでしょうか。
もう少し勉強しておくんだったと後悔しましたが、笑顔は共通言語だと信じて。
こちらは山間部の土砂降りに襲われて逃げ込んだ遊歩道。
その真中を貫く開渠と、申し訳程度に掘られた待避所が意識させるのは、ここが100年以上も前に拓かれた線路だという事。
子供の頃からこっそりあこがれていた「レールの上を歩く」という夢をかなえると、足裏には思ったより強い硬さを感じました。
最近太ったな・・・としきりに気にしていた体重なんて、荷物を満載した列車に比べればひどく慎ましやかなものなのでしょう。
思わぬところで「まだ大丈夫」と勇気をもらった後は、片道1kmというその長さをいやというほど味わうことに。
私たちはどうやら、特別だった事しか記憶に残せないようです。
昨日食べた食事を忘れても、旅先で出会った美味しい料理は思い出せる。
視界の隅の街路樹が何の木か知らなくても、史跡の大木の案内板には目を凝らす。
知らない場所で道に迷った事、そしてそこで偶然見つけた素敵なものも忘れない。
憧れて舵を切った撮影地のことなら、なおさら。
迷って迷ってたどり着いた場所で、偶然何かに出会う。
それは夏の騒がしい光に照らされた電車だったり
かつてたくさんの子供たちに歌うことの楽しさを教えた楽器だったり
命と笑顔の重さを感じる時を待っている、遊具だったりする。
背が伸びる程に見えなくなっていったもの。それこそが大切だとカメラは教えてくれた。
地面すれすれにバリアングルを構えれば、あの頃と同じ視点。
小さな足で歩ける範囲が全てだった、けれど今よりもずっと、季節がそばにあったあの頃…。
どんな精巧なオンラインマップでも、憧れを記した心の地図には敵わない。
”見たことのないものを見つけに行きたい”
その気持ちが道しるべ。
EOSがある限り、私は何度でも少年時代を生き直すことができる。
代り映えのしないアラーム音で目が覚めても、防湿庫の中から相棒を連れ出せば、新しい今日が始まる。
難しいことなんて何も考えなくていい。
快晴なら暖かな海へ。曇ったら山奥の遺跡へ行こう。雨なら夜を待って、街を宝石みたいに輝かせるのも悪くない。
それは意味があって、希望のある一日。
あの頃と同じ、ワクワクする今日なんだ。
道に迷ったらスマホのマップを。生き方に迷ったら心の地図を。
カメラ選びに迷ったら、、、。