【特別版】 写真家:加藤 秀 『私の視点』
2023年02月24日
28mmLeica Boutique 10周年記念Leica Q seriesLeica Q2Leica Special Contents写真家加藤 秀
真冬のスコットランド、アウターヘブリディーズ諸島を旅した。アウターヘブリディーズ諸島は、スコットランド本土の西側に南北に連なる島々だ。
この地域は年中とても強い季節風が吹いている。夏は避暑地として人気で、国内だけでなくヨーロッパやアメリカなどから沢山の人が訪れ賑いを見せる。だが冷たく厳しい風が吹きつける冬に訪れる者はとても少ない。離島行きの船は悪天候でたびたび欠航し、そもそもホテルやB&B(民宿)なども冬の間はそのほとんどが営業していないのだ。
行き交う車も少なく、島の集落はひっそりとしている。1月の日平均日照時間は1時間ほどしかない。日中ほとんどの時間は厚い雲に覆われ、時に激しい嵐が訪れ雨風が荒れ狂う。まさしく長く暗く寒い冬がそこにあった。
だが、島から人がいなくなるわけではない。この地に暮らす人々の生活は冬の間も続いている。
私は冬がとても好きだ。
角度の低い冬の陽光は、世界を優しく美しく照らしてくれる。冷たく張り詰めた空気は、まるで清らかな力が大地を覆っているようにも思えた。野山の木々は葉を落とし、その本体とも言える美しい枝振りを披露して佇んでいる。遠目には枯れ木に見えて、近寄るとその枝の先々には新たな蕾を携え、芽吹きの春が来るのをじっと待っている。夏の旺盛な青春の姿も美しいが、一葉纏わぬ冬の姿で、彼らが静かに育んでいる秘めた生命力にこそ大きな魅力を感じた。
島の人々も、夏の賑やかな季節はどこか皆よそ行きの顔というか、おもてなしに務める観光客向けの姿のように思えた。冬はそういった装いを解き降ろし、肩の力を抜いた素の人々がそこにいるように思えたのだ。私は島の本来の姿に会いたかった。
もっとも、島の人からすれば私のような物好きな訪問客は珍しいのだろう。「よくまぁこんな寒い時に来たわね!」とみな驚きつつも、人々はとても温かく私の訪問を歓迎してくれた。
私は島々を巡り、沢山の人たちに出会った。
バラ島の港を歩いているとき、鮭の養殖会社で働く男性に出会った。彼は「まぁ寒いから中でコーヒーでも飲みなよ」と事務所に私を招くと、8ヶ月かけて稚魚を育てることや沖合の養魚場の話など沢山のことを話してくれた。南ウイスト島の小さな羊毛工房では、この日の訪問者は私しかおらず、お願いすると200年前の機械が現役で稼働する作業エリアを快く見学させてくれた。忙しい夏に比べて冬は時間に余裕があるおかげかも知れない。なんにせよ島に暮らす人たちと語らい、共に過ごす時間はとても楽しく、その全てが心から親密で温かいものだった。
ハリス島で出会ったツイード織りの年配の職人もまた私に丁寧に仕事のことを話してくれた。夫婦で長年働いてきた彼は、4年前に妻を亡くした。「今は犬だけが私の家族なんだ」そう俯きがちに語った淋しそうな横顔が忘れられない。
「人は淋しさに惹かれる」と、友人が言った。その通りだと思う。私は彼の淋しさに強く惹きつけられ、シャッターを切った。
私を惹きつけるものは、写真に宿命的に内包する淋しさそのものだった。かつて人が暮らしていた廃屋、使っていたであろう生活用品、そんな人々の痕跡から殊更に淋しさを感じた。目の前のそれは過去の見知らぬ人のものではあるけれど、それは遠くない将来の私自身のことでもあった。我々の世界のあらゆるものはいつの日かその光を失う宿命にある。この世界に必ず別れを告げる日が来る。楽しい思い出も、幼い日々も、もう会えない人も、懐かしい場所や物も、あらゆる写真にはそんな二度と戻ることのない時間の淋しさが詰まっている。
だが、そんな淋しさを思えば思うほど、この世界に一瞬の煌めきのように存在している“今”の素晴らしさを思わずにはいられなかった。光の尊さ、生命の美しさが胸に沁みて愛おしく思えた。それは私が写真を残そうとする原動力に他ならなかった。
冬のアウターヘブリディーズ諸島はとても淋しい土地だった。
どこまでも広がる荒野と、この世の果てのような断崖絶壁、そして垂れ込める重い雲は一層の淋しさを感じさせた。でもそれは絶望ではない。「淋しい」は「悲しい」とも同義ではない。
私は断崖で立ちあがることもままならないほどの強い風に煽られ、足を踏み出そうとするたびに飛ばされそうになった。頭上では自由に空を舞う鳥たちが、淋しさから逃れられない不遇な私を見ている。そうして帰国する日がやってきた。
私が島々で出会い写した人々とは、もう二度と会うことはないかも知れない。私より先にこの世を去る人もいるだろう。やがて訪れる別れを思うことは心から淋しい。でも私は彼らとの愛しい邂逅に心から感謝したい。かけがえのない美しい人生の瞬間に奇跡のように巡り合い、そして写真に残すことができたのだから。