ちょっとだけタイムマシン
夕暮れ時、自宅近くの酒屋で飲みながら店員さんとカメラの話をしました。特に盛り上がったのはフィルムカメラについてだった気がします。曖昧な表現に留めたのは酔っていたから。翌日は幸いなことに二日酔いも無く、また一夜明けても覚えていた店員さんの言葉をそのままタイトルにお借りしてパソコンに向かいます。「フィルムって、デジタルと違ってちょっとだけタイムマシンみたい」と。誘われて遡る時の流れ。
フィルムカメラは撮った写真を目にするまでにいくつかの行程を踏まなければなりません。現像もそうですが、そもそもフィルム一本分撮りきらないと基本的には現像に出せませんし、その後もパソコンやスマートフォンで見て楽しむにはデータ化が必要です。慣れてしまえばなんてことはないのですが、便利なデジタルカメラに日々触れていると少し億劫な時間であることも事実。
しかしそれは捉え方を変えれば過去に戻ることができる素敵な機会。昨日飲んだお酒のラベル、一昨日見た波のかたち、先週の旅行、先月の宿、去年の今日の景色は?果たして覚えているでしょうか、私は到底、およそカンペキには覚えていません。そんな自分にあの日からの贈り物。135判フルサイズであればパトローネ1本で約36の景色に、一般的な中判であれば1ロール10~16ショット分タイムスリップすることができるのです。
前置きが長くなってしまいました。
それではいざ過去から未来へ、ちょっとだけ時間旅行。
デジタル写真やスマホの写真であっても過去の情報を覗くことは可能です。カメラロールにある限り、クラウドにある限り。それは日々生活の中にすでに溶け込んだ事実である事でしょう。異なるのは確認までに要する時間や、36、16、12といった撮影枚数の区切り、そしてフィルムカメラで撮るぞという気合いだと思います。デジタルカメラ世代に突入するより前からフィルムで写真を撮られている方にとっては当たり前すぎて感じにくいかもしれませんが、デジタルに慣れた私たち若造にとっての初フィルムは格別な感動を伴いました。この1本を自分が撮りきって、自分が現像に出して、その結果をいま目にしている。いとも簡単に想像を超えるデジタルテクノロジーからは感じ得ない感動が、物理的な重さを伴って知覚できる手のひらの上の感動が、そこにはあるのです。
フィルムの高騰とデジタルの台頭によってこの感覚はより特別なものになり、少し手を出しにくくなるのと反比例して価値は上がっているようです。今やフィルムカメラで全ての記録を行おうとする人は少ないでしょうし、メモ代わり、記録代わりになんとなく切ることができるほどシャッターは軽いものではなくなりました。フィルム全盛期、それこそフジフイルム、コダックはもちろんアグファ製もコニカ製もまだあったころ、もはや体感できないその時代に生まれて居たかったと思わない日はありませんが、それと同時に現代の価値観で楽しむフィルムもまた、深い意味を持つ奇跡的な体験だと感じています。
若いデジタルカメラ好きの方も、とっくにフィルムを引退した当時を知る方も、ランニングコストが高い今だからこそ、スマホやデジカメがあるからこそ、より洗練されつつあるフィルム体験をぜひ。そのモチベーションに誤りも正解もありません。
ブレていても、ちゃんと写っていなくても、ボケていても、撮ったか撮らなかったで言えばそれは撮った方。
撮らなければ勿体ないので、スペックも大事ですが自分が使いたいと思えるカメラ選びをおすすめします。
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カメラは撮影者のあなたにとってだけ輝く小さなタイムマシン。
できるだけ多く、未来の自分へ今を伝えてください。