今回のKasyapaは『木下光学研究所 KISTAR 55mm F1.2』というレンズ。聞き慣れない名だという方も多いと思いますが、実はあの富岡光学製『TOMINON 55mm F1.2』を完全再現させたレンズなのです。オールドレンズ好きな方なら必ず耳にする『富岡光学』という名前。技術力の高さから後にCONTAX用のCarlZeissレンズを製作していた光学メーカーとしてニッチなファンの間では広く知られています。オリジナルブランドであるTOMINONは国産CONTAX・Zeissの源流とも言えるレンズ。その中でも幻とも言われている『TOMINON 55mm F1.2』は1970年前後に発売されていた大口径レンズであり、今もなお多くのファンを魅了し続けているレアレンズです。
『KISTAR 55mm F1.2』を製作した木下光学研究所はその『TOMINON 55mm F1.2』の光学設計を担当した木下三郎氏が創設した会社であり、今回は息子である木下勉氏が『KISTAR 55mm F1.2』の機構設計を担当、光学設計には富岡光学時代からレンズ製作を行ってきた職人が担当するという、レンズ・作り手共にTOMINONのDNAをそのまま引き継いで誕生したレンズです。
日本が生んだ銘玉の復刻、今回はフルサイズミラーレス機にてその写りをご覧下さい。
現代のレンズとは違い、絞り開放だとソフトフォーカスの様な柔らかい収差の残る描写。F1.2ということもありピント面は極薄で、フォーカスを合わせても呼吸する体の揺れでピントがズレてしまうほど。ジワリと少し滲むようなボケ味は現代のレンズではなかなか見る事の出来ない独特なものです。また、『KISTAR 55mm F1.2』は大口径レンズながら最短撮影距離は0.5mからなので被写体に近付けばそのボケ味をより楽しむ事が出来るはずです。
F4くらいから急激にピントの山が立つ描写に変わります。被写体によってレンズの描写を使い分けるのも『KISTAR 55mm F1.2』を使用していて面白いところです。
オリジナルの描写を再現するため、『KISTAR 55mm F1.2』も今の時代には珍しいシングルコーティング仕様になっています。コントラストで美しさを見せるのではなく、階調表現で美しさを見せるように作られたレンズ。そして逆光で見せるこの強烈なフレアはオールドレンズ好きにとってたまらない魅力の一つと言えるでしょう。
現代の最新レンズとは違い、あえて当時の収差までも再現させた『KISTAR 55mm F1.2』。今回のレンズに関してはコマ収差や非点収差という言葉を用いて性能を語るのではなく、写真にした時に美しく感じるかどうかという観点でレンズを見るべきと思いました。フォーカスを合わせたベンチに座るカップルの後ろ姿。薄らと甘い収差が被写体を包み、語り合いながら日が沈みかけているという時間の雰囲気を美しく写真に表現してくれています。 写真とは数学的な要素と芸術的な要素が絡み合って出来るものだと思っています。もしこの描写が心に響いたなら『KISTAR 55mm F1.2』はあなたの写真にとって最高の1本になってくれるかもしれません。
雨に濡れていた羽根。開放では芯の分かりづらい描写も、ほんの少し絞れば細密な描写を見せてくれました。
薄暗い雨天の中、情景から浮かび上がるような白い鳩を撮りました。ぼんやりと白く光るような収差が被写体に物語を与えてくれます。
暗めの状況で見せてくれる『KISTAR 55mm F1.2』の描写も魅力の一つです。階調豊かなシャドウの表現は写真に重厚な美しさを与えてくれます。
フォーカスの合わせたレースの繊細な描写。光の拾い方も絶妙ですね、『KISTAR 55mm F1.2』はモノクロームでも是非使っていただきたい一本です。
デジタル機で使用する注意点を述べさせていただくと、Canon EOSのフルサイズ機では後玉がミラーに干渉してしまうため使用する事が出来ません。7DなどのAPS-Cセンサー機なら使用が可能です。また、ミラーレス機なら干渉の恐れも無いので全般的に使用が可能ですが、アダプター内に縮小光学レンズが入っているフォーカスレデューサー・アダプターを用いてでの使用は干渉の恐れがあるため推奨は出来かねます。
薄いピント面をコントロールする面白さ。『KISTAR 55mm F1.2』はAFレンズでは味わえない写真を撮る難しさと面白さを改めて教えてくれるレンズです。
ノスタルジックな味付けの描写はモノクロームにした時、さらにその良さと美しさを感じる事が出来るはずです。
被写体や絞りによって表情を変えてくれる『KISTAR 55mm F1.2』。光を見るという事を意識させてくれるレンズです。
『KISTAR 55mm F1.2』は最新のレンズが失ってしまった甘く美しい描写と道具としての物の良さを感じられる一本でした。機構設計者である木下氏も「癖を理解して楽しんでいただきたい」と言っていたように、このレンズを手にすると「適した被写体は?露出は?」などあれこれ考えながら撮影するという面白さがあります。車やバイクなどで言う“じゃじゃ馬”という表現が向いているかもしれません。久々に難しいと感じたレンズでした。
そして描写だけでなく本レンズの魅力に外せないのはTOMINONレンズと『KISTAR 55mm F1.2』の繋がり。父が光学設計した幻のレンズを息子が復刻させるというドラマと、日本のレンズ産業を支えてきた職人達がこだわって作り上げた“モノ作り”の素晴らしさ。ライカレンズなどで語られるレンズヒストリーのように この『KISTAR 55mm F1.2』も後に語られる一本になるかもしれません。
大量には作れないため、限定生産という形で販売される『KISTAR 55mm F1.2』。そのレンズの輝きにはたくさんの人の想いが込められたものだと感じました。
Photo by MAP CAMERA Staff