『ライカ M10-R』とオールドライカレンズで写す。2本目はライカのレンズの中でも特に人気の高い『ヘクトール L73mm F1.9』です。
当時としては抜群の明るさを誇ったハイスピードレンズ。このレンズの独特な「滲み」は現代の高画質化されてきた写りとは一線を画すもので、タンバールのように全体的に柔らかく滲むのではなく、滲みつつもしっかりと芯の残る描写をします。写り方が違えば、撮り方も感じ方も変わると教えてくれた『ヘクトール L73mm F1.9』。ぜひご覧ください。
飛んでいく二羽の鳥を咄嗟に捉えた1枚。この写りですっかり虜になってしまいました。1枚目の写真は『ライカ M10-R』のJPEGのモノクロームの撮って出しです。空のハイライトの階調再現がRAWデータよりも素晴らしかったのでJPEGを採用しました。ライカの画作りの良さを実感した1枚です。
「ヘクトール」銘は他の焦点距離でも数本存在し、その写りはまた個々に違いがありますが『ヘクトール L73mm F1.9』の輪郭線の芯を残しつつ光が柔らかく拡がる写りはこのレンズ特有の個性です。
突然の夕立。もうじき止むであろう雲の切れ間から漏れる光。濡れた地面のハイライト部分のボケと滲みが印象的でした。
ヘクトールという銘柄はレンズ設計者であるマックス・ベレーク博士の愛犬の名前から取ったという有名な逸話があります。ギリシア神話の英雄の名からだったのか、何を思い名付けたのかは真意は博士の胸の中です。ただこのレンズの写りを見ていたら、愛おしい愛犬の名を付けたくなる気持ちは分かる気がします。
カラーで撮ると光で透けた浅く淡い色味が画全体に滲んでいきます。雲の白と空の青が混ざり合った空の模様が絶妙なコントラストです。ピントを詰めるよりも、この瞬間を撮りたくて衝動的にシャッターを切りました。
遥かな彼方の空は輪郭も柔らかく淡い夕暮れの色。ただ、そう写ると分かっていたからこそ撮った1枚かもしれません。使っていくうちに感覚に染み込んでいく低めのコントラスト、色彩。このレンズだからこそ撮りたいと思う画がたくさんありました。
日が沈みかけた時間帯にも関わらず、なんとモノクロームが活きるレンズなのだろうと感じました。ここにハットをかぶったスーツの男性が現れたら、どれだけ画になるだろうと妄想が膨らみます。まるで白黒映画の中に入り込んだような感覚です。
ピントが合いつつも柔らかく滲む描写とガラス越しの反射が合わさると、このレンズの写りはさらに魅力的になると感じました。ピントが合う、シャープであることは大事ではありますが、それだけではない表現もあっていいと思えるレンズです。
シルエットの世界。ボケと滲みと柔らかさで描かれた世界。考えてみれば、私たちの肉眼では決して知覚できない世界を「写す」ということは写真にしかできない表現技法だったと気付かされました。
アウトフォーカスに置かれた小さなライト一つ一つが収差により面白いボケを作っていました。近代、技術で解決されてきたネガティブとされた収差がむしろ表現の一つとして愛されてきたのは、ある意味で写真表現がやっと成熟してきたのかもしれません。自分にとって表現したいものが何なのかを、選択できる時代になってきたのではないでしょうか。
このレンズだからこそ撮った世界。
約80年もの月日を重ねてきた『ヘクトール L73mm F1.9』。「滲むレンズ」という写りの性質に共通するものがあっても、同じ写りをする訳ではないのがオールドレンズの醍醐味。もはやフード付きを探すことも難しいレンズ。私が出会ったこの『ヘクトール L73mm F1.9』もフードはなかったため、開放絞りでの作例がメインとなりましたが、いずれ完全な個体に出会うことができた折には絞った作例もご紹介できればと思っています。先述の通り、ライカのレンズの中でも特に人気のある『ヘクトール L73mm F1.9』。もしどこかでこのレンズを見つけることがあれば、それは運命かもしれません。ぜひ滲むからこそ撮りたくなる瞬間と日常を。
Photo by MAP CAMERA Staff